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公式ガイド

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■ 講演「戦国時代の大石氏と北条(大石)氏照」を開催


東京都立大学名誉教授 峰岸純夫先生の講演会が催されました(撮影:19/12/7)。
主催は八王子市生涯学習センターで市文化財課とNPO三ッ鱗会が共催したものです。
180名の募集人員に対し、それを超える応募があり会場は溢れるほどの盛況でした。



次に公演の骨子を列記します。

[1] 河越合戦における大石氏の立ち位置
[2] 大石家の系譜の中での北条氏照
[3] 氏照の養子入りは浄福寺城ではなく由比野
[4] 名胡桃城の攻防は真田昌幸の謀略


(しばしばユーモアを交えながら分かりやすい解説をしていただきました)


河越合戦における大石氏の立ち位置

河越合戦は関東管領 山内上杉家と古河公方足利家の連合軍に対し、兵員数で劣勢の北条氏康軍が夜戦をかけて勝利したという、伝説的ともいえる戦いでした。
これに対する大石氏側の立ち位置について先生は、成り行きを静観していたとしています。
その結果に従い、大石氏は北条に服従し所領を保持したとなります。
このような場合の所領の帰趨は
 服従(和平)   100%
 抗戦・降伏     50%
 挑戦・滅亡     0%
峰岸先生流和平案、いかがでしょうか。


大石家の系譜の中での北条氏照

武蔵由井郷の大石定久(道俊)の養子が憲重(あとで綱周:つなちか)で、そのまた養子が小田原北条から送り込まれた藤菊丸、のちの氏照となります。
これに対し先生は、綱周と氏照は並列であるとしています。
とするとこれは上杉謙信の、姉の子、すなわち上杉景勝を養子にしていたところに、さらに北条から景虎を迎え入れたのと酷似します。
上杉は嫡子の問題を御館の乱で決着をつけたのに対し、先生は大石の場合、綱周は波たてることなく身を引いたとしています。


氏照の養子入りは浄福寺城ではなく由比野

斎藤慎一先生の精力的な研究とその論文により、氏照の養子入りは浄福寺城(由井城)との見方が定着しているように見えます。
峰岸先生は斎藤先生の功績を認めつつも、今回、氏照の養子入り先は新たに「由比野」であるとしていました。
由比野とは八王子市弐分方町にあると思われる地名です。

斎藤先生の浄福寺城についての論文は次をクリック(PDF) 戦国期由井の政治的意義


名胡桃城の攻防は真田昌幸の謀略

豊臣秀吉により策定された惣無事令に違反したことから始まった豊臣の関東征伐、これを秀吉の人となりから説明する考えもありますが、峰岸先生はこれにもご自身の考えを説明してくれました。
名胡桃城に勃発した攻防は真田昌幸の謀略であると。
NHK大河ドラマで見た草刈正雄さんの演技を思い出すにつれ、史実とフィクションが混然となってきそうです。


公演後も活発な質問攻め

ひと通り講義が終わったあとの質疑応答では、切れる間もないほど、質問とそれに対する解説がなされました。
そののち、いったん終了したあとも壇上から下りて、さらに、待ち構える質問者に疲れを見せるでもなく延々と質問タイムが続きました。


(次から次と出てくる質問にも丁寧に応えている峰岸先生)

本当に素晴らしい講演、どうもありがとうございました。




■ 今年も八王子城と滝山城がコラボして写真展

高尾599ミュージアム特別展示室にて開催

例年行っている八王子城と滝山城がコラボした写真展を今年も開催しました。この特別企画は高尾599サイドの発案、構成によるものです。
期間は19/11/05〜11/10日までのほぼ一週間で行われました。
八王子城側のものは22点展示で、いずれも当HP編集局(Fuma Project)が提供した写真データの中から、高尾599サイドがセレクトし、A1版縦型の大型パネルとして作成したものです。
今年も新たに若干追加させていただき、とても豪華なものとなり感謝しています。
最終日の11/10(日)にはNPO八王子城跡三ッ鱗会メンバーによる甲冑着装体験もありました(二項目に記載)。


(今回も2Fの特別展示室に誘導する案内表示が準備されていました)


(展示場では八王子城のもっているものの一端を見ていただきました)


(お父さんは写真に見入ってますが、ボクは武者になり切っているようです)

八王子城跡三ッ鱗会による甲冑着装体験

今年も写真展開最終日の11/10(日)に、NPO八王子城跡三ッ鱗会のメンバーによって甲冑着装体験が行われました。
甲冑を着たいという方が時間が進むにつれ次々と現れ、合計 110名を越える方々に着装体験をしていただきました。
全ての方が初めての体験で、重い甲冑をものともせずに着装し楽しんでもらえたようです。


(この日、高尾599はいくつかのイベントが同時並行的に行われ賑わっていました)


(奥様が着装するのを、ご主人はというと、ただ楽しんで見ているだけです)


(こちらはお父さんが子供たちをしたがえて着装体験です)


(外ではこんな時期なのに気が早く、もう獅子舞の登場です)


(こちらのご家族は消防隊の皆さんとショットです。楽しめましたでしょうか)




■ 日本百名城制覇を八王子城で達成 !!

日本百名城制覇を見事に八王子城で達成しました(撮影:19/11/16)。
おめでとうございます !!


大阪府から来られたISKさんです。
2017年3月から百名城めぐりを始められたということでした。
また、陣羽織は持参したものではなく、こちらにたまたま有ったものです。達成プレートといつもセットでというわけではありません。あしからず。
この記事は城跡ガイドのKRYさんから送っていただいた写真とコメントをもとに作成しています。


■ 台風19号 八王子城に厳しい爪痕

2019年10月12日、伊豆半島から関東にかけて上陸した台風19号は、八王子城にも多くの厳しい爪痕を残しました(撮影:19/10/16)。
城跡内を通る林道や広場、本丸へ向かう登山道などに数多くの崩落をもたらしました。
ここでは戦国遺構としての八王子城が、台風19号で受けた過酷な現実を紹介します。
ただ、災害も全くネガティブなだけではありません。
災いを転じて新しく顔を出してくれた戦国遺構もあります。
この記事の最後にはそれについても紹介いたします。



水が高いところから低い場所に流れるように、ここでは4つの地点について視点をあて、垂直に掘り下げていきます。

@四段の石垣
ここでポイントになりそうなのが四段の石垣群の左側の沢が三段目の下で狭窄していることです。
戦国の時はこうであったはずはありません。落城後、430年の年月の中で自然地形の変化で詰まったものです。

A御主殿の奥、北西側の土石流
御主殿曲輪の奥(北側)では幾度となく土石流が起こったことは容易に想像できます。
だから今から30年前まではこの地域が土の下に眠っていたのです。

B御主殿東 空掘り、東側の土石流
御主殿曲輪の東に大きく横たわる空掘り、縄張図的には横堀です。
ここも空掘りの上端から崩落し、下端の現在でいう林道を越して土石流が起こっています。

C御主殿の滝の横で新たな石垣の出現
すなわち、御主殿の滝の横、自刃の淵の石垣の構造を明確にする新たな石垣の出現です。
今回豪雨による激流により、土手が洗い流されたため出現しました。

以下に今回の爪痕を具体的に紹介していきます。


(左の沢が狭窄しているため水が越水し、石垣の前を斜めに流れた)


(ここでも放水を意図した沢には流れず画面の右にスルーした)


(ここの上で土石流が発生。落城後なんどもこういうことが起こり遺構が地中に)


(大きな空掘りが横たわっており、画面の右側が土石流の突端部です)


(空掘りの終端部を越えて蛇行しながら城山川方向へ流れ落ちています)



ここは自刃の淵から手前の隅角石まで石垣があった場所です。
今回の台風による濁流が土手を洗い流してくれ、隅角石から"L"字型に右に延びる石垣が出現しました。
これで石垣で囲まれていたかもしれないとの疑問符付きだったこの場所が、確信をもってここの構造をイメージすることができるようになりました。

今回の台風の爪痕、新たに出現した戦国遺構などを詳細に動画としてまとめました。
視聴は右_(YouTube:7分半) 八王子城の奇跡



■ 高尾599 体験学習フェア開催

2019 in 高尾山 体験学習フェア八王子が高尾599ミュージアムで開催されました(撮影:19/8/25)。
八王子城は8/25(日)の担当で(滝山城は前日)、市文化財課から八王子城の立体模型と石垣積み(野面積)の体験ツールを持ってきてくれて、文化財課重鎮のお二人も参加し、ガイドメンバーも含め、説明・体験学習は終日大好評でした。
一方、甲冑着装体験はNPO八王子城跡三ッ鱗会が行い、こちらも着装希望が引きも切らず、メンバーは休む間もない汗だくの一日でした。
どちらも含め、計 110名の方々が体験にチャレンジするほどの大盛況でした。


(これが八王子城のブース(テント)です。立体模型が鎮座しています)


(石垣積み体験はいつも人気です。指導は文化財課 MRYさん)


(子どもも親も一緒に楽しめるようです。ガイドの KRYさんも指南です)


(さあ、こちらは着装体験です。三ッ鱗が映えていますよ)


(大勢さんです。引率はお父さんorお祖父さん。声掛けは「おとうさん」が無難です)


(ご家族のやすらぎのひとときでもあります。シャッター押しましょうか)


(こちらも家族で戦国体験ですね。よく見ると知っている方です)


(凛々しい若者が着装です。八王子プロバスケのアスリートなそうです)


(お仲間も加わってきました。まずは高尾599の前をひと歩き)


(ケーブルの門前の蕎麦屋街を闊歩。でも自分たちの団扇を配るのが目的のようでも)


(異文化交流です。 Civil war era(戦国時代)の気分、日本の思い出になったかな)


■ 手作り甲冑講座進行中

2019年度の手作り甲冑講座が八王子城跡ガイダンス施設で進行中です(撮影:19/7/28)。
今年の甲冑講座は 6/16日をスタートに、隔週日曜日に行われていて、5日目だけは 8/12(月)のスケジュールで進んでいます。
さらに6日目として8/18(日)に補習講座が追加されました。
本格甲冑をご自分で作れるとあって例年ご好評をいただいています(各自実費を負担)。
今年は13名の募集に応募者13名(満杯)で締め切られ、選ばれた方のみが作成可能ということです。
さあ、最後はどんな「マイ甲冑」が出来上がることでしょうか。

なお、大人の甲冑講座はNPO八王子城跡三ッ鱗会が主催しているものです。
これと別に、8月には同じガイダンス施設で、子ども甲冑教室が行われます。
子ども甲冑は八王子市文化財課の主催によるものです。参加費用は千円で残りは市が負担してくれます。


(今年は長い梅雨ですが、いよいよ甲冑づくりも佳境に入ってきました)


(年々女性の受講者も増えています。講師陣も思わず力が入ります)


(完成したらこれから秋の武者イベントにも参加して下さい)

◆ 来年以降、甲冑作成に興味がある方はガイダンスで見学を !!

甲冑づくりに興味がある方は今年の今後の予定を記載しておきますので、お気軽にガイダンス施設の休憩フロア(ミーティングフロア)を覗いてみて下さい(午前中が中心です)。

・手作り甲冑講座(大人)
 5日目: 8/12(月)
 6日目: 8/18(日) 補修講座(最終)

・子ども甲冑教室
 1日目: 8/10(土)、 2日目: 8/11(日)


■ 八王子城跡まつりを開催

第1回目となる「八王子城跡まつり」を八王子城跡内にて開催しました(撮影:19/6/23)。
これは天正18年(1590年)6月23日(和暦)に八王子城が落城し、実質的に戦国の時代が終わったことを記憶するためのもので、八王子市の文化財課が企画して行われたものです。
市民の来城者、学校の児童・生徒、北条関連市町、各種協力団体など、およそ 3,500名を越える参加者のもと、梅雨空を吹き飛ばすかのような大盛況でした。



今からおよそ430年前、八王子城では主力勢力が小田原城攻防の援軍として出兵し、ここでは残された女たち、老兵、百姓などで戦うことを余儀なくされたときです。
それを想起させるかのように、この日の盛り上がりも、女性たちの躍動、老兵士たちの城を守る執念が見てとれる1日となりました。


(最初に主催者を代表して石森八王子市長のご挨拶です)


(比佐御前:氏照公正室を先頭に、攻め込む敵軍と対峙する布陣です)


(鉢形城三ッ鱗会の皆さんによる火縄銃の実射で、全山に轟く迫力です)


(御主殿曲輪は大盛況です。奥深い山城に多くの方々が足を運んでくれました)


(多くの観客が待ち構える中、八王子城隊(三ッ鱗会) 35名の入陣です)


(比佐御前を中心に城域全体に響けとばかりの鬨の声です)


(おやまあ、城跡管理棟前です。国史跡の城域内で露店は初めてのことです)


(ガイダンス施設では八王子城石垣(野面積)の構築体験です)


(ジオラマ広場に展示された立体模型。初お目見えです)


(スタンプラリーのチェックポイントです。景品がたくさん出ましたよ)


(乗馬体験は大人気でした。特に甲冑を着装してというのがいいようです)


(6月23日、残された者たちの戦い。女性たちの躍動の一日でした)

八王子城跡における市民参加型のイベントとしては初めての企画でした。
今後も皆さんに盛り上げていただいて、ずっと続けられるようなお祭りになって欲しいです。

今回「6月23日」の一日の戦いを動画にまとめました。
視聴は右_(YouTube:5分半) 19年八王子城跡まつり


■ 市民歴史講座「北条氏と八王子城」

JR八王子駅北口前の東急スクエアビル12Fで、市民歴史講座「北条氏と八王子城」が開催されました(撮影:19/6/14)。
これは地元企業の揺籃社が企画した6回連続講座の第3回目として戦国を取り上げたもので、講師は八王子城跡オフィシャルガイドの松田健二氏です。聴講者はおよそ50名で、講座が行われた八王子市学園都市センターセミナー室は満杯の盛況でした。
まず、北条早雲(伊勢新九郎)の登場から関東進出、小田原北条の核となる人物の三代氏康とエピソードの川越夜戦など、さらに、氏照の八王子デビューから八王子城の築城までを概説していただきました。
続いて、氏は公式ガイド歴10年のキャリアから「八王子城跡観て歩き」として、パワーポイントを使った写真資料の紹介による八王子城の詳細な解説がなされました。

そして、皆さん知っていましたか !!
会場となった東急スクエアビルとJR八王子駅北口を結ぶ地下舗道は、なんと、三ッ鱗の家紋が敷き詰められたペーブメントになっているのですよ。
下に写真を掲載しましたのでご覧ください。


(氏によるパワーポイントを使った解説が行われました)


(最後に、主催者側からの謝辞と挨拶です)

会場の東急スクエアビル(12F八王子市学園都市センターセミナー室)は、JR八王子駅北口の目の前にあります。
今回の盛況から、これから開催される4〜6回の市民歴史講座も盛況になるだろうと予感されました。


(会場はこのビルの最上部の方、12Fですね。隣接する舗道にサプライズ !! )


サプライズ !! 舗道には三ッ鱗の家紋が !!

皆さん、このビルとJR八王子駅を結ぶ地下舗道が、三ッ鱗の家紋を敷き詰めたペーブメントになっていることを知っていましたか。
今まで気がつかなかったという方は是非、チャンスがあったらここに立ち寄って見て下さい。
三ッ鱗の家紋でウエルカム、ようこそ八王子城の八王子市へ、です。


(JR八王子駅北口地下舗道には三ッ鱗の家紋が敷き詰められています)


■ 日本百名城 登城制覇を八王子城で達成 !!

日本百名城完全制覇を見事に八王子城で達成しました(撮影:19/4/13)。
おめでとうございます !!


千葉県から来られたOIWさんです。
2012年から始め、遠い所から廻るのがコンセプトのようで、全部廻るのに7年間かかったそうです。
また、続100名城も廻り始め、すでに北海道は終わっているとのことです。


◆ 百名城を八王子城で達成し日本中に発信してもらおう !!

日本百名城 全制覇のフィニッシュを八王子城で達成した方にご褒美です。
八王子城跡オフィシャルガイドホームページに、あなたの偉業を祝福し百名城達成記念記事を掲載してさしあげます。
もちろん無料です。
ぜひ最後を八王子城で飾って下さい !!


 (達成プレートを持って八王子城がわかるスポットで・・・・・)

【 特典 】

こちらで祝福の記事を作成し日本中に(もちろん世界中にも)発信して差し上げます。
ご自分の記事が一発で表示できるようなQRコードをご提供します。
年賀状に貼り付けて知らせるとか、メールやSNSで多くの方に一斉発信に活用することができます。



ご希望があれば記事を永久保存できるよう「PDF」ファイルとしてご提供いたします。

[要件]

内容の信憑性を確保するため、お顔にマスクはできません。
恥ずかしいのでロングで撮って下さい、などは可能です。



■ 滝山城とコラボして地域貢献

滝山城の甲冑隊と八王子城隊がコラボして地域貢献イベントに参加しました(撮影:19/4/6)。
これは多摩川を見下ろす加住丘陵にある城址:都立滝山公園で「滝山城跡桜祭り」のイベントとして行われたものです。
(NPO三ッ鱗会々員、ITHさんから寄せていただいた写真とコメントをもとに構成しています)
滝山城は北条氏照公が八王子城に居城を移す前、20年間ほど居城としていた城です。



氏照公は小田原北条から大石氏の浄福寺城に養子入りし、そののち滝山城に移城し、さらにのち八王子城に移城しました。
奇しくも今年は、甲斐武田軍が小田原攻撃(1569年)に際して、途中、滝山城攻めを行ったとされる年から450年の節目に当たります。
滝山城と八王子城はいずれも氏照公の強い思いによって作りこまれた城郭で、現代の滝山城隊と八王子城隊のいずれも、それぞれの歴史を感じながら活動を続けている皆さんです。
多摩地区でも有数の桜の名所でもある滝山城址、満開の桜のもとに馳せ参じた武者の数は、滝山城甲冑隊10名、滝山城加住甲冑隊6名、八王子城隊22名でした。
氏照公の絆で繋がれた両城のみなさん、地域を盛り上げる活動として貢献できたようです。


(最初に滝山城加住甲冑隊の登城で、石森八王子市長のお膝元です)


(続いて八王子城隊、武者数22名です)


(町会ごとに陣取りされて、お酒も進みます)


(満開の桜ここは滝山城、ですが春日八郎「八王子城歌」にのせて「槍の舞」の演舞です)


■ オフィシャルガイドの皆さんが表彰される

八王子城跡オフィシャルガイドの皆さんが八王子市教育委員会から表彰されました(撮影:19/3/15)。
長年にわたり継続して地域における文化育成活動を行ってきたことを、個々のメンバーとして表彰されたものです。
表彰式は八王子市役所内で行われました。
これには他の学校活動に貢献した団体や個人も同時に表彰されています。
今後も八王子城跡を盛り上げるための活動を頑張っていきますので、ご支援、ご鞭撻のほどよろしくお願いします。


(市教育長からひとりずつ、表彰状をいただきました)


(あわせて記念品もいただきました)


(これがいただいた表彰状です。氏名は伏せてあります)


(集合写真です。いつもは撮る側なんですが、その前の雰囲気です)


■ 要害部の井戸(かんせい)の調査

八王子城の要害部(山頂部)にある二つの井戸(坎井:かんせい)の調査を行いました(撮影:19/2/14)。
山頂部には戦国時代に使用されていたとされる井戸(坎井)が二つあり、ひとつが八王子神社の横、横地社との間にあるものです。
もうひとつは松木曲輪の下の方へ富士見台に行く登山道を下りてすぐにあります。
今回、八王子城跡ガイドとNPO三ッ鱗会の有志、8名でおもに八王子神社の横の井戸について調査しました。
あわせて後者についても覆いを開き中の構造を目視によって確認しました。

今回は速報として手短に結論のみを記載します。イベントとしての雰囲気などは後日、三ッ鱗会のホームページに改めて掲載します。

次の図にその結果を提示します。


(二つの井戸で構造がまるで違っていました。数値の一部は目視によるもの)


(金子曲輪あたりを山頂部に向かって登る調査メンバー)

この井戸の存在は江戸時代の初期(1648年)に描かれた「慶安の古図」(下図)にも記載されています。
下の図の下の方、赤いワッカの部分に「松木曲輪」と記載されているのが読み取れるでしょうか。
その右上の方、赤いワッカの部分に「小宮曲輪」(右に100度ほど回転した文字)と記載されています。
両者の真ん中の平地(ひらち)は現代の表現でいえば「中の曲輪」です。
そこに「水」との記載があります。
すなわち、当時、そこに水場があったということをうかがい知ることができます。


(慶安の古図の一部拡大。青いワッカが水場の存在の証明です)

今回の調査にあたって最初はずいぶんと威勢がいいやり方が出されていました。
ですが、いろいろ議論する中で、梯子を降ろしてやるとかはメタンガスがわき出ていて中毒死したらどうするか、など問題として上げられ、結局、上からできる範囲の中でというやり方に落ち着きました。
それでも戦国の人骨が出てきたらどうする、まず警察だな、とか楽しみも半分、ワクワクでした。


(いつも被せられている金網をはずした状態です)


(試行錯誤するうちに、KNKさんとKRYさんがすくい上げるスキルを身につけました)

井戸の石組壁をささえている算木様受木のようなものがすくいあげられ、これは戦国のものかと色めき立ちました。
ところが戦利品を並べるときの不注意で、あえなくポキンと、あれれ、クギが出てきましたよ。
なんだ、現代のものですね。

(算木様石垣壁受木、赤いワッカにクギがあります)


(木々をすくい上げたあと、時間をおいても水は増えなかったです)


もうひとつの井戸は・・・・・

富士見台に行く登山道を下りてすぐにあるもうひとつの井戸はどうだったでしょうか。
これは外側壁が塗り固められ、手押し式のくみ上げポンプがしつらえられています。
この仕組みはあきらに現代のものです。興味はその下の中身です。
覆いを開き中の構造を見て、まず感じたのは大きい、石組が綺麗だ、ということでした。


(思ったより広大な空間でした。ポンプ用の塩ビのパイプがなんとも今風です)


■ 見て歩き:北条氏照と下原鍛冶

八王子市文化財課主催による、文化財見て歩き「北条氏照と下原(したはら)鍛冶」が実施されました(撮影:19/1/26)。
参加者は市の広報で募集・応募した30名、八王子城跡および郷土資料館ボランティアガイド、主催者を合わせ、計45名の大盛況でした。
高尾街道のバス停「鍛冶屋敷」に皆さん時間どおりに集合して、9:30行動開始、氏照公ゆかりの刀工(とうこう)たちの巧みの技を手繰り寄せる「見てある記」となりました。
さらに、八幡神社では、城跡要害部にある八王子神社の宮司も兼ねる梶原宮司による両神社の由来説明などもいただきました。
氏照公ゆかりの宗関寺を経て、城跡ガイダンス施設ではまとめのレクチャアなど、多彩なものとなりました。
また、主催者の即席の城跡ツアーの呼びかけもあり、応募参加者のほぼ半数の方に御主殿廻りを楽しんでいただきました。


(主催者側から挨拶、民家を抜けるため、注意事項などの説明)


(氏照のあとの時代ではありますが、刀工の輝きを残した武蔵太郎安国の墓に対面)


(武蔵太郎安国ら刀工の業績をたたえる市史跡としての指定を証する碑)


(八幡神社へ、MZSさん(赤)は慣れたものです。まるで自分の庭です)


(梶原宮司もわざわざ正装し我々のためにお出まし下さいました)


(氏照公ゆかりの宗関寺です。寺は戦国時代は氏照の墓の右奥の方にありました)


(城跡ガイダンス施設に到着です。中はあったかです)


(講師の石垣氏から、氏照の同時代文書(もんじょ)などを引用しての解説です)


(締めは集合写真。でも、当日かぎりの集団はなんとなく微妙なバラツキ感です)


■ 2019年の初日の出です

2019年の八王子城山の初日の出です(19/1/1)。
AM6時少し過ぎ城跡駐車場に着きましたが、いつもこの時間だと駐車場はほぼ満杯で止める場所をさがすのに苦労をします。
今年は奥の方に回ったら結構空いていてどうしたのかな、もしや前日の予報が千葉県沖の太平洋に雲がかかり東京からは初日の出がよく見えないかもでして、これが原因かなと。
まあ、懐中電灯で足元照らしながら登り始めました。
金子曲輪手前あたりから空がかなり白んできて関東平野を見渡すことができました。空を見渡すと98%くらいは雲が無い。
表示の「9合目」から100mくらい登った場所が絶好の初日の出スポットです。
今年も多くの人々がカメラを構えていました。見知った顔も何人かいて、早速、新年の挨拶交換です。


(やはりちょうど太陽が出る千葉県沖の太平洋に雲がかかり残念な初日の出です)



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