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Official Guide

オフィシャルガイドの会

見出しHEADLINE


コロナ禍で新しい非日常です

世の中とは別に八王子城跡ガイドとしては非日常が粛々と進んでいます(撮影:20/9/5)。
世間一般ではどうやってか、コロナ禍の中で新しい日常を回転させて行こうとやっきになっています。
八王子城跡の中に一歩踏み込むと、いっとき、コロナを忘れた世界に入り込んだ錯覚さえ覚えます。
高尾山なんかはケーブルを使って登って来る人が多いせいでしょうかね、こんな暑いのに、こんな山の上で、と思いながらも多くの人はマスクをしています。
しかし八王子城内はコロナ前の日常が進んでいるように見えます。
一点、非日常なのはいつものガイドがいないことです。
現時点で、年内はガイド活動は休止ということになっています。


(開館中?閉館中? ご安心下さい。開館中です。字面がよく似ています)


(左:百名城石碑、右:日本遺産幕。左は民間団体が決め、右は国家が決めた、重みは?)


(三密回避の掲示も北条家がやると、さすが三ッ鱗家紋です)


(念願かなっておじゃまな杉2本が切られたので思わずシャッターです)


(おや、まあ、ここにも三密回避の三ッ鱗家紋です)


(9合目を過ぎたあたりの参道で倒れかけた杉大木。ここは神社の所有地、行政の範囲外)


(駐車場、正午過ぎの定点観測です。探鳥家も去り日常が戻っています)


日本遺産八王子のスキーム

「日本遺産八王子」の中で八王子城の位置づけを分かりやすいスキームとして作成しました(20/8/23)。
文化庁に提出した遺産申請の概要などが八王子市のホームページに載っているものの、市の広報などで記載される内容はそのときどきで違っていてあまりよくわかりません。
とくに高尾山と並んで重要な構成要素であるはずの八王子城の扱いも、低かったり多少高かったりという状態です。
行政の記載として、遺産を紡いで紡いでって言って、いったい何を紡ぐんですか。
そこで今回それらを明確にしました。
構成要素は高尾山や八王子城、江戸期に開花した八王子の街(マチ)文化などです。
これが縦糸となります。
横糸は歴史、文化、自然です。
これは構成要素が躍動する舞台(ステージ)です。
そのスキームをこの記事の最後に掲載しました。


(小田原本城の統制とは別に、八王子として機能し散って残した意志です)

戦国の八王子城と高尾山の連帯

八王子城の西側(甲斐側)の防御は大きく三層になっています。
城域の西端は詰城を頂点として派生する南北の尾根に石垣・石塁を築いて構えます。
その外側には自然地形を利用した富士見台を頂点とした尾根で、東南に小仏関所跡まで下り、西北に関場峠に続きます。
最も外側の防御壁は裏高尾山稜で、高尾山にはじまり北は檜原城に連なります。
このような地理的配置から否が応もなく、八王子城と高尾山には連帯が生まれます。
城主氏照は領地の寄進の制札の発給などによって高尾山を庇護し、武運長久を祈願しました。


(高尾山は左側に湾曲する尾根の東南端に位置する天然の要害です)


(八王子城は戦国期に輝き、江戸期の街の礎となり、現代は遺構として継承)


(この廿里の戦いの教訓が八王子城と高尾山の連帯を形成した)


(尾根筋の先端が高尾山、背後が連綿と続き、終端に檜原城がある)


(霊気が醸成され時代の変遷に左右されず人々を魅了する高尾山)


(八王子城が礎となり江戸期に大きく開花した八王子の街(マチ)文化)


(「日本遺産八王子」の構成要素のそれそれのwin-winの関係図)


(八王子市の街の名前に松姫通りがあるのに行政からなぜ松姫がひと言も出ない??)


[追記] 「八王子城の遺産」として動画を作成 !!

上で紹介した日本遺産として認定されたストーリーを、桑都の礎を築いた「八王子城の遺産」として動画を作成し YouTubeにアップしました(掲載:20/9/19)。
視聴は右をクリック_(YouTube:8分) 桑都の礎を築いた八王子城

ぜひ、ご覧になって下さい。




必見!! 日本遺産認定パネル展

八王子の歴史遺産が東京でただひとつ日本遺産として認定されたことを祝うパネル展が開催されています(撮影:20/7/15)。
残念ながら、6月の新聞報道などでは高尾山が日本遺産に選ばれたかのような表現でした。
しかし、このパネル展示では、北条氏照公が高尾山に武運を祈願し崇めてきたこと、そして現在の八王子市の礎を築いたことなどから、日本遺産八王子の主役は高尾山とともに八王子城も並び立っていることを明確にしています。
パネル展の場所は、サザンスカイタワー八王子4F JR八王子駅南口総合事務所で、市役所の八王子駅南口分館のようなものです。
ここは商業ビルというこもあってか、土日も開いている(祝日は除く)ということです。
期間は、20/7/14 から始まり、他のイベントとの関係でスペースの伸縮はあるようですが、8月末までの予定です。


(2Fのエントランス部分に、人々を誘導するバナーでもあるといいのに)


(認定ストーリーとして(赤矢印)、高尾山、八王子城跡、車人形です)

ジオラマ(立体模型)で2つの城を体感しましょう

今までにあった八王子城のジオラマに加え、今回、滝山城についてもジオラマを作ったということです。
両者が並んで展示されています。縮尺はどちらも同じ、1/1500 です。
この前に佇(たたず)み、じっと見て下さい。
氏照公が右に限界を感じ、左に巨大な山城を作った心情を感じとることができたでしょうか。


(今から四百数十年前に氏照公は、こういう比較対照を頭に描いていたんですね)




コロナ禍の静けさの中で

新型コロナウイルス禍の静けさの中で、そんな中でも大きく進行している八王子城跡の変化を報告しておきます(撮影:20/5/2)。
まず、西東京バスの八王子城跡-高尾駅の直通バスの終点ロータリーから始まって、城跡ガイダンス施設、ジオラマ広場、そして城跡管理棟へと、この3、4ケ月の中で情景が大きく変わりました。

4/4日に記事を起こした記載の中で、去年の台風19号で崩落した参道橋もなんやら野面積(のづらつみ)風で工事が進んでいますよ、さすが八王子城と書きました。
今、それも完成し渡れるようになってます。
でもよく見ると、なんちゃって野面積み、という感じでしょうかね。


(左が城跡管理棟、右が八王子神社の一の鳥居)

ひとまず城跡の核心部分を

御主殿遺構の後ろの土石崩落部分は復旧しました。
御主殿地区最初の写真スポット、撮影にじゃまな杉の木立が伐採され見通せるようになりました。
すなわち下の写真で、右が戦国石段、左に曳橋、その上方に山頂部(要害部)がとらえられます。


(左上が本丸跡(山頂部)、ようやくこういう写真が撮れるようになりました)


(関東平野。空気が澄んでいた4/18のものを入れました。休日の午前なのに中央高速も車影なしです)

戻って、城跡エントランス部分を見ましょう

バスロータリー、ジオラマ広場、城跡管理棟あたりまでの見てくれが大きく変貌しています。
その中でもジオラマ広場を中心に見ていきましょう。
縦横に桜の苗木が植えこまれました。
一つは、盛り土された大規模平地(ひらち:ジオラマ広場のこと)の縁(へり)に沿ってのライン。
二つめは広場上側の、戦国の下道に沿ってのライン。
三つめは上に誘導される上下のライン。
いずれにしても、桜は成長が早いので10年もたったら桜の名所?になるかもしれません。
注: 下道とは一部のグループの方々の表現で、御主殿臺所門へと続くもので戦国のものと主張する。


(ジオラマ広場にライン状に植えられたシダレヤマザクラ)


(上の下道へと斜めに誘導する植え込み。細い縦棒のような一定の間隔のもの)


(中央水平に下道。高木の伐採で樹齢20〜30年のモミジが多数露出。秋には真っ赤な紅葉)


(高木の伐採により露出したヤマツツジの群生。これも前から高木に埋もれてありました)


(菖蒲園。梅雨どきには開花?。バスロータリーから遊歩道で誘導されます)

[追記] ハナショウブが開花しました

上で紹介した菖蒲園で見事ハナショウブが開花しました(撮影:20/5/23)。
今後、城跡を訪れた方々の多少の癒しの空間となるのでしょうか。


(まだまだ株数は少なめで静かな空間です)




八王子城跡のガイド休止、ガイダンス休館

新型コロナウイルス感染拡大防止のため、八王子城跡オフィシャルガイドによる御案内は当面の間休止しています(記載:20/4/23)。
また、ガイダンス施設も 5月6日(水曜日)まで休館となっています。
日本100名城スタンプの押印は、城跡管理棟とガイダンスの閉鎖のため、いずれも休止しています。
再開の時期が決定しましたときにはHPでお知らせいたします。

八王子城跡の駐車場は完全に閉鎖

八王子城跡の駐車場はいずれも完全に閉鎖されています。現時点でのお車での安易なご来城はご遠慮下さい。
城跡周辺での路上駐車は絶対に止めて下さい。近隣の住民の方々のご迷惑になります。


(近隣の方の生活にご迷惑になる路駐は絶対に止めましょう)

八王子城跡-高尾駅 直通バスは毎日運行

西東京バスが運行する、八王子城跡-高尾駅の直通バスはなぜか毎日運行しています。
すなわち、通常であれば、これは土日祝日のみに運行されるのですが、今は平日でも毎日、祝日ダイヤで運行されています。
新型コロナウィルス禍で住民の方にもご苦労をおかけしているので、生活に必要な足くらいはというご配慮なのでしょうか。


(この2ケ月ほどで八王子城跡のエントランス部分は大きく変わりました。願う、コロナ終焉!!)

[追記] 車の規制がさらに強化されました

路上駐車の対策のため車での乗り入れはさらに規制が強化されました(撮影:20/4/25)。
ガイダンス施設の下側で規制線が設置されています。
なお、直通バスは上述の通りすべての曜日で祝日ダイヤでの運行となっています。


(車で来城された方は無常にも右矢印の指示でバスロータリーで転回して帰っています)

[追々記] ガイダンス施設と駐車場は再開

閉鎖されていたガイダンス施設と駐車場は再開されました(記載:20/6/3)。
なお、八王子城跡オフィシャルガイドによる御案内はいまだ休止しています。





八王子城は桜の名所です !?

八王子城山も桜のきれいなところだったんですね(撮影:20/4/4)。
長いこと八王子城跡に通い詰めていながら八王子城山が桜の名所とは思っていませんでした。
山桜がきれいで日本画のようなワビサビ(侘び寂び)の風景がいいと、毎年思っていました。
ところが今年の新型コロナウィルス禍、城跡も接遇がからむ機能はすべて停止しています。
思いがけずじっくりと八王子城に向かい合う時間が持ててあらためて気付かされることも多いのですが、そのひとつ、ここはひょっとして桜の名所と言ってもいいのではと・・・・・

一方、接遇が伴わない工事系の作業はかなりの規模で粛々と進んでいます。
そのおこぼれのようなものが、実は八王子城のイメージ形成のために大きいのですが、曳橋の手前から石垣・石段を望む景色が完全にクリアーになったことです。
処置前、処置後の比較写真も掲載しましたのでじっくりとご覧下さい。


(正面の山頂部が本丸跡、あちこちで山桜が満開でした。特に次が圧巻です)


(臺所門から金子曲輪に近づくと見えてきました。こんなに綺麗だったかと感動)


(台風で崩落した参道橋の工事、こんな所でも野面積が、八王子城のこだわりです)


(八王子城最高の撮影スポット、長年要望してようやくクリアーな景色に)


(ず〜っとこれらの杉の木が撮影のじゃまをしていました。伐採で守備お役御免です)


(広葉落葉の大木が伐採され、下から樹齢30年ほどに育っていた実生?のモミジが大量に露出。秋には素晴らしい紅葉の予感が 3/18)




浄福寺城探訪ツアー 津久井城との竪掘り比較

八王子城主 北条氏照公の養子入り先とされる浄福寺城(由井城)の探訪ツアーを実施しました(撮影:20/1/25)。
八王子城跡ガイドとNPO三ッ鱗会のメンバーおよび一般の方、計17名の参加で行いました。
今回のスタートは恩方小学校の裏手から入り、大手道とされる尾根を登るコースです。
浄福寺城については江戸東京博物館学芸員の齋藤慎一先生の精力的な研究成果があり、ここでは城郭用語を先生の論文の中で使用しているものに統一して使用させていただきました。
また、後半では不思議な戦国遺構である「連続竪掘り」について、小田原北条傘下の城館である津久井城のものと、ここ浄福寺城のもので対比し比較検証をこころみています。


(行程は上のとおり。縄張り図は 2006「東京都の中世城館」東京都教育委員会から引用)


(恩方小学校ぎわの空きスペースで主催者のNPO MTDさんからレクチャーです)


(スタートしてすぐに五輪塔。齋藤先生はこれを戦国のものだと同定しています)


(齋藤先生はこのなだらかな尾根を大手道だったとしています)


(先生はここにこの城で最も大きい居館があったとし、正面が虎口です)


(若き氏照公が仰ぎ見ていた風景。山頂には水場がある。いつかあそこに城を作るぞ !!


(この城にはたくさんの堀切がありますが、その中でこれが最大のものです)

小田原北条傘下の2城で「連続竪掘り」の比較

ここ浄福寺城には戦国遺構として不思議な「連続竪掘り」があります。
これの戦略的意味は何でしょうか !?
そこで、小田原北条傘下の城館である津久井城のものと、ここ浄福寺城のもので対比し比較してみました。

津久井城では斜度30度くらいの斜面に削りとられた竪掘りが2〜3本ずつ何列も並びます。スキー場で考えてみて下さい。斜度30度は結構きつい斜面です。

それに対し浄福寺城では削平されたほぼ曲輪状の緩斜面に作られています。
氏照公とともに小田原からついてきた家臣たちが小田原北条の風を吹き込みたかった?
背後の漏斗状の斜面の存在を考えると、畝堀りにして水場のない山頂部で天水を集める工夫をした?(同じ傘下の柚木城ではこれで実際に水が貯まっています)
障子堀りを作るためのプロトタイプとして作成した?
等々、不思議な遺構で好奇心がつきません。


(地理的にはすぐ近くにある2城に「連続竪掘り」が、でも両者でこんなに違いが ??)

津久井城「連続竪掘り」の補追

津久井城には強固な竪掘りがおびただしい数で作り込まれています。
その中でも長大な10本以上のものは山裾から山頂部の本城曲輪に向けてせり上がり、山頂近くではさらに途中からの竪掘りを従え「連続竪掘り」を構成します。
城郭用語としての「竪掘り」は教科書的には、攻めて来る敵軍の横移動を防ぐことを目的に作られるとされるのですが、津久井城の圧倒的な竪掘り群を辿って歩くとき、何かもっと奥深い構築意図があったのではないのかと感じさせられます。


(見学者が3本の「連続竪掘り」の真ん中の堀底にいます。奥のものが一気に津久井湖まで)


(浄福寺城主郭(山頂)でみんなで集合写真です)


(帰途は浄福寺「卍」を目指して西側の急斜面を一気に下りました)


(浄福寺城の名前の由来になった浄福寺「卍」です。創建されたのは江戸期、城名はのちのもの)



浄福寺城はたくさんの曲輪(削平地)、堀切、竪掘などが、手つかずのまま埋もれることもなく残っている山城です。
ほぼ訪れる人もなく道標なども一切ないことから、戦国の雰囲気が残されていてそれをを直に感じとることができる貴重な遺構です。
今回は限られた時間の中でもっともこの城の良さを体感できるコースとして計画した結果、上に示したようなものになりました。
いかがだったでしょうか。

今回の戦国遺構浄福寺城の探訪を動画にまとめました。
視聴は右_(YouTube:5分半) 戦国山城浄福寺城探訪



2020年の初日の出です

2020年の八王子城山の初日の出です(撮影:20/1/1)。
AM6時少し過ぎ城跡駐車場に着きました。
以前だとこの時間では駐車場はほぼ満杯で止める場所をさがすのに苦労をするのですが、最近は留めるのに苦労しない程度には空いていています。
そんな中で懐中電灯で足元照らしながら登り始めました。
金子曲輪手前あたりから空がかなり白んできて関東平野を見渡すことができました。空を見渡すとほぼ雲が無い状態でした。
合目表示の「9合目」から100mくらい登った場所が絶好の初日の出スポットです。
見知った顔も何人かいましたが、城跡ガイドメンバーはかなり減ってきました。


(天気予報どおり太陽が出る東京湾の奥の太平洋に雲がかかり残念な初日の出です)



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