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Official Guide

オフィシャルガイドの会

見出しHEADLINE


八王子城跡ガイドの活動が再々開 !!

今年の1月末から2回目の休止をしていたガイドの活動が再開しました(掲載:2022/4/22)。
今回は、新型コロナ禍による八王子城跡公式ガイドの活動の2回に及ぶ全面休止を経た後の再々開です。



この活動休止期間中に城跡内でいくつかのリニューアルが行われ、その一部はすでに掲載していますが、今回あらたに2つの点から紹介いたします。

@ 幟(のぼり)旗が4パターン新調・追加されました。
A ガイダンス施設で八王子城跡での出土遺物の展示コーナーが常設されました。

それらのポイントを簡単に取りまとめ以下に記載しておきました。


新調された幟旗が新緑の陽光を受けひときわ鮮明に


(これは従来から使用してきた幟旗。城跡管理棟前広場にて)


(コロナ禍による活動休止期間中に新たに作られた幟旗4パターン)

従来からの幟旗と新調されたものを上下に掲載しました。
新調された幟旗の中で、左2つと右端は説明の必要もないでしょう。
問題は左から3つ目の絵柄です。
何なのか、お分かりでしょうか。


3つ目の旗の絵は出土した青花皿に描かれていた絵柄

この青花皿は、1992年、1993年(平成4年、5年)にわたり行われた、御主殿地区の大々的な発掘調査によって出現したもののひとつです。
旗の絵は出土した青花皿に描かれていたもので、団ち龍図といいます。
「ち」は超難解な漢字で、ご使用の端末で表示されないケースも多いと思いますので八王子市郷土資料館:編「八王子城」(令和2年8月13日 改定・増補版)からその部分を引用しておきました。
参照は
次をクリック _青花皿の絵柄の解説(PDF)
さらに手っ取り早く知りたいと思われる方のために以下を紹介しておきます。

これは八王子市文化財課が、来場したお子さんに配布することを目的として作ったことのある塗り絵です。
現在、城跡で配布しているとかはありません。

この塗り絵、4つの絵柄がセットになっていて、以下からダウンロードすることができます。
次をクリック _八王子城跡御主殿出土品ぬりえ(PDF)


ガイダンス施設で出土遺物の展示コーナーが常設

ガイダンス施設では八王子城跡で発見された遺物の展示コーナーが常設されましたので、ご来城の際には、こちらにもお立ち寄り下さい。
ここに展示されているものは平成4年、5年の発掘踏査で出土したものではありません(それ以外のものです)。
展示は発見遺物の中の極一部です(下に掲載したものは、さらに展示品の中の一部です)。


(ガラスのケース越しに撮影しているので電灯(白丸)映りや表示ムラがあります)

同時に展示されている物の中には、最近放映されたNHKの「歴史探偵」でも取り上げられた土玉(つちだま)があります。

NHK放映の「歴史探偵」の土玉について

土玉については発見されてから長い年月が経つ中で、最近、大変興味深い展開があって、その結果、「歴史探偵」で取り上げられた内容になったものです。
これに関しては、その点にフォーカスを当てた記事を近い時期に掲載したいと考えますので、しばらくお待ち下さい。




コロナ禍の中、八王子城跡でサクラ満開 !!

コロナ禍の中、サクラ満開の八王子城跡で、一日花を追ってみました(撮影:2022/4/6)。
八王子城跡はもともとソメイヨシノがむんむんと咲き乱れるというような桜の名所ではありません。
城山一帯は山桜が八割で、どちらいえば日本画の世界です。
ところが今年はとくにソメイ系が満開のまま長もちしていたところに、山桜系が咲き始めたので、両者が咲き競い、爛漫の風情(ふぜい)を醸している状態です。
とはいっても、すぐには来れないという方のためにまずはホームページ上でひとめぐりしていただきましょう。


(八王子城跡のエントランス部、ジオラマ広場の法(のり)面に咲くソメイ)


(ジオラマ広場の上方から手前はアカバナ ハナモモ、管理棟はソメイ、対面の太鼓曲輪尾根は山桜)


(ソメイ越しにコロナ禍でガイド活動が休止している管理棟前広場)


(休止期間中に旗差物が新調されてご覧のようになりました。新規に4パターンを作成)

八王子城跡でメインの撮影スポットがようやく開眼

サクラから少し話題がそれますが、八王子城跡でメインの撮影スポットの曳橋の手前、城山川越しに対岸に虎口・石段を見通すエリアの展望が開けました。
もともと八王子城は鬱蒼とした森で、それが戦国山城の雰囲気を醸しています。
それがこのコロナ禍の間に、従来からのムードに躊躇することなく植生に大胆に鉈を入れ、大木でも切り倒すという、いっときの疾風が吹きまくりました。
その結果、このスポットでは杉の木立の隙間から撮影するしか手がなかったのが、ご覧のように下から山頂部(本丸)まで見通せるようになりました。


(曳橋の手前から、虎口・石段を前面に見て、山頂部の本丸方面まで一気に見通し)

山頂部の本丸下、松木曲輪では山桜が満開

ここは松木曲輪、山頂下の展望スポットでテーブルと椅子も何組かあり絶好のランチスポットです。
このあたりは山桜の大木が何本かあり、この日は満開のちょっと手前で八分咲きという感じでした。
右手対面が高尾山でその肩の奥、遠方には津久井城が見られます。


(画面のほぼ中央、高尾山の肩部が下っている向こうが津久井城)

氏照公ゆかりの心源院ではシダレザクラが満開

山頂部から帰路を搦め手(裏側)にとると、城山北側の麓にある心源院に下ることができます。
ここは戦国時代に八王子城主 北条氏照公がこの寺の再興に力を入れたところです。
また、武田信玄の娘 松姫が甲斐天目山で、勝頼自刃(武田家滅亡)の際に逃げて生き延びるよう諭され、逃避行のすえ八王子恩方に辿りつき、そののち数年の時を過ごした寺とされています。

心源院のシダレザクラは当世で流行りのベニシダレではないのが、かえって幾百年かの時を背負った清楚さを感じさせます。


(このシダレザクラ、樹齢350年ということで氏照公の、のちの時代に植えられたもの)

コロナ禍が私たちの日常に降りかかってから2年余りがたち3度目の花見です。
八王子城は桜の名所というわけではないですが、山桜が多く点在し、日本画の世界を楽しむことができます。

幸いなことに今年はソメイヨシンが満開の時期を長くもちこたえて、それに山桜が咲き始めたので、両者が一緒に咲き乱れ、華やかな春の景色を楽しむことができました。




2021年度発掘調査が、再度、御主殿西側で行われました

前年(2020年)に引き続き、御主殿西側で発掘調査が行われました(記事作成:2022/2/11)。
前年度の報告ですでに記載したように、八王子城跡の御主殿地区の本格的な発掘調査は1992-93年(平成4-5年)に行われました。その成果として大型建物遺構、すなわち御主殿と会所が出現しています。
その後、2013年(平成25年)7月に行われた発掘調査により、上記の2つの建物に隣接して新たに池跡とそれを囲む庭園が発掘されました。
今回の発掘調査は前年(2020年)に続くもので、2021年(令和3年)11月11日から12月9日まで、会所の南西側で行われました。
その結果、1992年(H4)に発掘された会所南西側の水路遺構に続く、新たな水路遺構が出現しました。
また、前年(2020年)と同様に新たな敷石遺構も出現しています。


(御主殿地区における、今回の発掘の場所を写真で表示)


(出現した水路遺構・敷石遺構。また、中国(明)からの銭貨・磁器皿、国内産の皿・擂り鉢が出現)

かつての発掘調査を実証するように水路遺構が出現


(写真上方。作業土が盛り上げられたあたりが前年の発掘場所)

1992-93年(H4-5)の大規模発掘で出現した遺構は、その歴史遺産を将来へ継承するために調査終了後、60cm程度の覆土をし埋め戻されています。
その後、2012年(H24)から13年に御主殿地区の発掘したエリアで、かつて(H5)覆土した表土面に復元的整備が行われました。
すなわち、現在、我々が見ているものは復元遺構というよりは、出現遺構を地表の該当箇所で示すもの、ということになります。

上の写真でそれが体現されると思います。
画面右上に水路遺構の整備箇所があり、今回その左、同じ線上で、かつ、地下60cmほどのところに見事に水路遺構が出現しています。
いわば、今年度(2021)の発掘調査は、今までの調査の正しさを実証するものです。
また、今後の氏照公の寝所があったと期待されているエリアに進展するための橋頭堡(きょうとうほ)になると思われます。

八王子城跡、今後の発掘の展開


八王子城跡の今後の発掘で気になるのは、やはり、氏照公の寝所方面への展開でしょうか。
上の写真で示したように今回の発掘場所からさらに奥に続くエリアです。
また、下の図で確認していただくと、左下の隅の比較的広い平地(ひらち)の部分です。



ところが、発掘の中心となっている八王子市文化財課の村山さんと話していたら意外なことが分かりました。
次(今年=2022年)の発掘調査は、御主殿の北側を考えているということです。
上の図に示した、御主殿の奥の方、庭園跡(池跡)の右上の方です(青い楕円ワク)。

戦国期、未完の八王子城 !!
現在、まだまだ未解明の八王子城跡 !!
今後に続く調査に期待が膨らみます。




自衛隊の若者たちが八王子城で訓練

陸上自衛隊の若者たちが八王子城跡を活用して訓練を行いました(取材:2022/1/8)。
八王子城跡に来城したのは陸上自衛隊情報学校の総勢30名弱、隊員24名とその他に教官数名です。
この行動は去年の12月7日が初回で、計2回、この日(22/1/8)が最後の訓練でした。
筆者は指導教官の了解を得たうえで拝聴させていただきました。
まず、なぜ八王子城跡を教育の場として選んだかです。
@関東平野の全体を目の前で確認できる場所として最高である。
A関東山地から関東平野に展開するジオラマがある。
Bその赤色立体地図(八王子城跡陰陽図ほか)が備わっている。
他にもあるのだとは思いますが、以上をあげていました。

教官以外の全員が20代の感じで、女性隊員も1/4くらいいました。
9合目上の関東平野の眺望場所まで、全員が20分以内で登ったということで、下ってきたときも特に息を切らすそぶりを見せるような隊員はいませんでした。

このように2回にわたって訓練して帰った隊員たちですが、彼らと組織としての遺伝子(DNA)が繋がる旧日本陸軍築城部本部の者たちも、かつて、八王子城に来ています。
後段ではそれに関連付けて記載します。


(9合目上の展望スポット。何を講義したかは不明。眼前の全ての領域が戦国北条の支配下です)


(ジオラマ。講義の途中で巨大なシーツ様のものを被せ、出っぱったところを山上で見たものと照合?)


(八王子城跡陰陽図=赤色立体地図の意義・活用法などを解説していました)

旧日本陸軍が残した八王子城のスケッチ画

旧日本陸軍築城部本部が作成した八王子城に関するスケッチ画があります。
国立国会図書館所蔵の「旧日本陸軍築城部本部日本城郭史資料」とされているものです(作成時期は昭和初期〜第二次大戦終了時まで)。
この日、来城した若者たちと、八王子城のスケッチ画を残した者たちは、時代・役割・任務は違っても、組織としての遺伝子には繋がるものがあるのではないか、と思いを巡らせました。

次に旧陸軍の八王子城スケッチ画2点を提示します。


(山頂部の本丸、八王子神社など、現在、我々が見ているものとほぼ同じ)

何の目的で八王子城に来て、このようなスケッチ画を残したのかは知るよしもありません。
なお記載文字の、北宮郭は小宮曲輪、松本郭は松木曲輪、の単純な間違いと思われます。



(御主殿地区。切土・盛土した台地状の地形はあるものの、石段・石垣の記載はない)

旧陸軍のスケッチ画を見るかぎり御主殿地区は、その時から300年以上前の戦国期に造成された台地状の形状はあるものの、石段や石垣は露出していなかったようです。
また、御主殿エリアは多少斜めの緩斜面で、下草の生えた程度の台地状であったと思われます。
現在、我々が見ている城域内の杉の樹林(樹齢70年前後)は、大戦終了後、全国で一斉に植樹されたものと同じです。
ちなみに、平成4・5年の大規模発掘の事前(確認)調査の風景から、ここが緩い斜面だったことが認められ、この時の杉の樹齢は40年前後です。
参照は
次をクリック _事前発掘時の風景(PDF)

参考までに紹介しますが、旧日本陸軍築城部本部の資料の中で八王子城に関しては、第7冊のコマ(シート)番号51〜61に記載されています。
参照は
次をクリック 旧陸軍日本城郭史資料(国立国会図書館リンク)


陸自の若者と旧陸軍の者たち、八王子城が訴求するもの

時代も任務も違う中で、同じ組織遺伝子で繋がる彼らは、八王子城を教材に何を得て帰ったのでしょうか。
氏照公がここに広大な山城を築こうとしたように、深沢山(八王子城山)には、旧陸軍の者たちや現在の陸自の若者たちに、訴求する何かが存在するのでしょうか。




2022年の初日の出です

2022年の八王子城山の初日の出です(撮影:22/1/1.AM 6:52)。
コロナ禍の中で迎える新年も2回目となります。
天気予報どおり晴れて城跡駐車場から登りはじめ、金子曲輪あたりから少しずつ回りが明るくなってきました。
新型コロナのためか9合目上の展望スポットは、コロナ前の半分くらいの人数という感じでした。
今年も去年と同様、城跡ガイドメンバーは一人もいませんでした。


(9合目上の展望スポット。見えている範囲は戦国北条の支配下です)


(松木曲輪では携帯コンロなどを囲む人々で賑わっていました)



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