八王子城は、戦国時代の末期に小田原に本拠をおき関東に覇権をもった北条氏の三代目当主、氏康の三男の北条氏照によって築かれた山城です。
氏照は幼い頃、武蔵国由井城(八王子市恩方、浄福寺城ともいう)城主だった大石綱周(つなちか)のもとに養子入りし(定久の婿養子とするのは通説)、のちに滝山城主となりました。
その後、氏照としては晩年となるのですが、滝山城を捨て、急峻な深沢山(八王子城山)に、我が国最後の大規模な山城を構築しました。
築城開始は天正十年(1582)以降で、天正十五年(1587)までには居城を八王子城に移しました。
一般的にいってこの時期は、山城の役割は終焉し築城は平城に移っているときです。
ここで最初に明確にしておきたいのは、八王子城は戦国時代の山城なのでもともと天守閣は存在しません。
一方、聳え立つ天守閣をもつ城郭は江戸時代の初期に構築されたものが殆どです。
また、戦国期の城は江戸期のそれに比べて残された古文書、縄張り図なども圧倒的に少なく、まして落城した側の情報を得るのは至難の業といえます。
すなわち、八王子城についていえば文書(もんじょ)などの同時代資料が極端に少ないというのが現状です(多くはのちの時代の資料)。
したがって、口伝や子孫の方々の伝承、郷土史家や歴史文学作家などの思い入れ、さらには庶民の妄想までも内包しながら現在に続いています。
そのような中でもここでは、ひと筋の積み重ねられた事実の一端を提示したいと思います。
それは完成をみることのなかった最後の大規模山城・八王子城の存在の証明です。
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