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八王子城 公式ガイド
公式ガイド
Official Guide Group
見出し
HEADLINE
25年 北条氏照まつりを開催
!!
第14回「北条氏照まつり」が開催されました(撮影:2025/10/19)。
日本百名城八王子城跡のガイダンス施設から御主殿までを会場として行われたものです。
参加した武者の数は八王子城隊100名。小田原城、韮山城、鉢形城をはじめとした友城から馳せ参じた武者たちを含め総勢200名の武者イベントとなりました。
去年と同じで八王子城跡ガイダンス西側の駐車場からのスタートで、まず、ジオラマ広場を行軍です。
大手門に向かう八王子城隊です。
大手道を行軍し、曳橋が見えてきました。
曳橋の上で鉢形城隊による火縄銃の実演です。全山に轟くような迫力です。
眼前に城山川、ここは御主殿虎口上段です。
左側はアシダ曲輪、右側は御主殿の土塁で囲まれています。
御主殿へ入陣です。
八王子城主 北条氏照公の登壇です。
東京都知事の小池百合子さんも初めて駆けつけてくれました。
出陣の前に三献の儀(さんこんのぎ)を取り行います。
御主殿で再び鉢形城隊による火縄銃の実演です。。
最後にご来賓の皆さまもご一緒に鬨の声(ときのこえ)、エイエイオーです。
25年 北条氏照まつりを開催
!!
第14回「北条氏照まつり」が開催されました(撮影:2025/10/19)。
日本百名城八王子城跡のガイダンス施設から御主殿までを会場として行われたものです。
参加した武者の数は八王子城隊100名。小田原城、韮山城、鉢形城をはじめとした友城から馳せ参じた武者たちを含め総勢200名の武者イベントとなりました。
去年と同じで八王子城跡ガイダンス西側の駐車場からのスタートで、まず、ジオラマ広場を行軍です。
大手門に向かう八王子城隊です。
大手道を行軍し、曳橋が見えてきました。
曳橋の上で鉢形城隊による火縄銃の実演です。全山に轟くような迫力です。
眼前に城山川、ここは御主殿虎口上段です。
左側はアシダ曲輪、右側は御主殿の土塁で囲まれています。
御主殿へ入陣です。
八王子城主 北条氏照公の登壇です。
東京都知事の小池百合子さんも初めて駆けつけてくれました。
出陣の前に三献の儀(さんこんのぎ)を取り行います。
御主殿で再び鉢形城隊による火縄銃の実演です。。
最後にご来賓の皆さまもご一緒に鬨の声(ときのこえ)、エイエイオーです。
子ども手作り甲冑教室を開催
2025年子ども手作り甲冑教室が開催されました(撮影:25/8/10)。
主催は八王子市文化財課でNPO八王子城跡三ッ鱗会が協力したものです。
会場は八王子城跡ガイダンス施設で、市の公報で募集に応じた18名の皆さんが参加しました(プラスご家族がそれとほぼ同数)。
以前は二日間の工程でしたが、去年圧縮して一日での作業として問題なかったことから今年も一日での仕上げとなりました。
講師はいずれも三ッ鱗会のメンバーで、最初に各部品、作業の進め方に関する全般的な説明です。
甲冑づくりの基本が紐(ひも)による作業です。
この作業は威す(おどす)と呼ばれ各部品を紐でつづり合わせたり飾ったりと重要です。
まず、紐を威(おど)して「草ずり」を作っています。
威(おど)しはきつく引っ張らず、ふんわりと仕上げるのがコツです。
慎重に出来上がりを確認しながら作業を進めます。
だいぶ出来上がってきました。
こちらは父と子と2馬力で驀進(ばくしん)中です。
作った草ずりはつなぎ合わせます。
草ずりの出来上がり見本が左手前です。
草ずりは戦のとき、下腹・太腿(ふともも)を保護します。
次は胴の作成です。
「草ずり」で習った威(おど)しの作業は胴の作成でも応用します。
きつく引っ張らず、ふんわりと仕上げるといいです。
胴の作成が順調に進んでいます。
胴に付けた草ずりは身丈に合わせて調整します。
最後の工程は兜(かぶと)の作成です。
兜は子どもを笑顔にするプロジェクト「おりかぶと」として市内の小学校の訪問授業でやってきたものを取り込んでいます。
兜に三日月型をした前立て(まえだて)を取り付けると完成です。
さあ、さっそく着装してみましょう。
何やら「うじてるくん」が来てくれたようです。
八王子城では豪華
!!
鬼滅の刃 :竈門炭治郎(かまどたんじろう)がお出迎えしてくれます。
作成した甲冑をみんなでまとい勢ぞろいしました。
最後はみんなで鬨の声(ときのこえ)です。
エイ エイ オー
!!
参加された小学生の皆さん、ご家族の方々、お疲れさまでした。
この中のどれくらいの子どもたちが秋の「北条氏照まつり」(10/19)に参加してくれるでしょうか。
楽しみです。
主催された文化財課の皆さん、指導されたNPO三ッ鱗会の皆さん、お疲れさまでした。
子ども手作り甲冑教室を開催
2025年子ども手作り甲冑教室が開催されました(撮影:25/8/10)。
主催は八王子市文化財課でNPO八王子城跡三ッ鱗会が協力したものです。
会場は八王子城跡ガイダンス施設で、市の公報で募集に応じた18名の皆さんが参加しました(プラスご家族がそれとほぼ同数)。
以前は二日間の工程でしたが、去年圧縮して一日での作業として問題なかったことから今年も一日での仕上げとなりました。
講師はいずれも三ッ鱗会のメンバーで、最初に各部品、作業の進め方に関する全般的な説明です。
甲冑づくりの基本が紐(ひも)による作業です。
この作業は威す(おどす)と呼ばれ各部品を紐でつづり合わせたり飾ったりと重要です。
まず、紐を威(おど)して「草ずり」を作っています。
威(おど)しはきつく引っ張らず、ふんわりと仕上げるのがコツです。
慎重に出来上がりを確認しながら作業を進めます。
だいぶ出来上がってきました。
こちらは父と子と2馬力で驀進(ばくしん)中です。
作った草ずりはつなぎ合わせます。
草ずりの出来上がり見本が左手前です。
草ずりは戦のとき、下腹・太腿(ふともも)を保護します。
次は胴の作成です。
「草ずり」で習った威(おど)しの作業は胴の作成でも応用します。
きつく引っ張らず、ふんわりと仕上げるといいです。
胴の作成が順調に進んでいます。
胴に付けた草ずりは身丈に合わせて調整します。
最後の工程は兜(かぶと)の作成です。
兜は子どもを笑顔にするプロジェクト「おりかぶと」として市内の小学校の訪問授業でやってきたものを取り込んでいます。
兜に三日月型をした前立て(まえだて)を取り付けると完成です。
さあ、さっそく着装してみましょう。
何やら「うじてるくん」が来てくれたようです。
八王子城では豪華
!!
鬼滅の刃 :竈門炭治郎(かまどたんじろう)がお出迎えしてくれます。
作成した甲冑をみんなでまとい勢ぞろいしました。
最後はみんなで鬨の声(ときのこえ)です。
エイ エイ オー
!!
参加された小学生の皆さん、ご家族の方々、お疲れさまでした。
この中のどれくらいの子どもたちが秋の「北条氏照まつり」(10/19)に参加してくれるでしょうか。
楽しみです。
主催された文化財課の皆さん、指導されたNPO三ッ鱗会の皆さん、お疲れさまでした。
夏2題:鬼滅のパネル設置と山百合咲き誇る
八王子城跡の夏の話題を2つ掲載しました(撮影:25/7/13)。
7月18日に全国公開のアニメ映画「劇場版 鬼滅の刃 無限城編第一章」と、日本100名城のコラボ企画として作成された主人公の竈門炭治郎(かまどたんじろう)の等身大パネルの提供を受け、八王子城跡ガイダンス施設の入口部にパネルが設置されました。
日本におけるアニメやポップカルチャーは国内外を問わず注目されており、これをきっかけに八王子城跡に足を運んでくれる方が増えるのを期待しているということです(八王子市文化財課 談)。
八角形の銀色の建物が八王子城跡ガイダンス施設です。
画面右下奥にバスが停まっているのがわかるでしょうか、バスロータリーです。
そこが起点となりJR高尾駅北口からの直通バスが土日祝日に運行されています。
これが設置されたパネルです。
主人公の竈門炭治郎の「ようこそ八王子城へ」の台詞(せりふ)付きというのがウリです。
自生の山百合が咲き誇っています
次はガイダンス施設の外、すぐそばのあたりの植生の話題です。
以前から自生の山百合が咲く場所ではあったのですが、食用に球根をねらった盗掘があったり広葉の樹林が覆っていたりで年々先細ってきていました。
それが城跡管理人のお二人が雑草を刈る際、ていねいに百合の部分を残すように下草を刈ってくれて、今年は山百合も競って花を咲かせています。
山百合が自生しているのはこの三ッ鱗の植栽の右側の斜面と、上のジオラマ広場の北側斜面の下縁(へり)です。
なお画面の正面、山頂部分が八王子城本丸跡です。
これが三ッ鱗の植栽の右側の斜面、すなわち、駐車場の北西側斜面です。
これがジオラマ広場の北側斜面の下縁です。
この斜面では広い範囲にわたって点々と咲いています。
災い(ナラ枯れ)転じて新たな植生が進展
この山百合が咲いているあたりはコロナ禍の頃にナラ枯れに襲われ、ナラなどの広葉の大木が立ち枯れし大きな被害を受けたエリアです。
ですがこの災いも見方を変えれば悪いことだけではなく良い転換もあります。
鬱蒼としていた大木が何十本も枯れることにより、ちょうど山百合が咲いているエリアに重なるのですが、枯れた大木が伐採されて陽光がゆきわたる状態になっています。
それで山百合だけでなくこの東側の部分ではヤマツツジの群生がみごとに育ってきていて、春にはオレンジ色した綺麗な花を咲かせています。
さらに山百合エリアの上に方一帯に、秋には真っ赤に紅葉するモミジが植えられています。
これはナラ枯れがあったからこそ日の目を浴びることができたものです。
このモミジ、樹齢は30年くらい、本数は50を越そうかというほどで、大木が枯れて葉を落としてくれたおかげで今は生き生きと育っています。
何十年かのちには、このエリアが紅葉の名所になると予感できます。
夏2題:鬼滅のパネル設置と山百合咲き誇る
八王子城跡の夏の話題を2つ掲載しました(撮影:25/7/13)。
7月18日に全国公開のアニメ映画「劇場版 鬼滅の刃 無限城編第一章」と、日本100名城のコラボ企画として作成された主人公の竈門炭治郎(かまどたんじろう)の等身大パネルの提供を受け、八王子城跡ガイダンス施設の入口部にパネルが設置されました。
日本におけるアニメやポップカルチャーは国内外を問わず注目されており、これをきっかけに八王子城跡に足を運んでくれる方が増えるのを期待しているということです(八王子市文化財課 談)。
八角形の銀色の建物が八王子城跡ガイダンス施設です。
画面右下奥にバスが停まっているのがわかるでしょうか、バスロータリーです。
そこが起点となりJR高尾駅北口からの直通バスが土日祝日に運行されています。
これが設置されたパネルです。
主人公の竈門炭治郎の「ようこそ八王子城へ」の台詞(せりふ)付きというのがウリです。
自生の山百合が咲き誇っています
次はガイダンス施設の外、すぐそばのあたりの植生の話題です。
以前から自生の山百合が咲く場所ではあったのですが、食用に球根をねらった盗掘があったり広葉の樹林が覆っていたりで年々先細ってきていました。
それが城跡管理人のお二人が雑草を刈る際、ていねいに百合の部分を残すように下草を刈ってくれて、今年は山百合も競って花を咲かせています。
山百合が自生しているのはこの三ッ鱗の植栽の右側の斜面と、上のジオラマ広場の北側斜面の下縁(へり)です。
なお画面の正面、山頂部分が八王子城本丸跡です。
これが三ッ鱗の植栽の右側の斜面、すなわち、駐車場の北西側斜面です。
これがジオラマ広場の北側斜面の下縁です。
この斜面では広い範囲にわたって点々と咲いています。
災い(ナラ枯れ)転じて新たな植生が進展
この山百合が咲いているあたりはコロナ禍の頃にナラ枯れに襲われ、ナラなどの広葉の大木が立ち枯れし大きな被害を受けたエリアです。
ですがこの災いも見方を変えれば悪いことだけではなく良い転換もあります。
鬱蒼としていた大木が何十本も枯れることにより、ちょうど山百合が咲いているエリアに重なるのですが、枯れた大木が伐採されて陽光がゆきわたる状態になっています。
それで山百合だけでなくこの東側の部分ではヤマツツジの群生がみごとに育ってきていて、春にはオレンジ色した綺麗な花を咲かせています。
さらに山百合エリアの上に方一帯に、秋には真っ赤に紅葉するモミジが植えられています。
これはナラ枯れがあったからこそ日の目を浴びることができたものです。
このモミジ、樹齢は30年くらい、本数は50を越そうかというほどで、大木が枯れて葉を落としてくれたおかげで今は生き生きと育っています。
何十年かのちには、このエリアが紅葉の名所になると予感できます。
寄居北條まつりが開催
!!
第64回寄居北條まつりが埼玉県寄居町で開催されました(撮影:25/5/11)。
前週の小田原北條五代祭りに続いて戦国北条の時代まつりです。参加した武者の数は500名ということです。
今年の八王子城隊は、NPO八王子城跡三ッ鱗会メンバーを中心に、総勢26名の選りすぐりのメンバーによる参陣でした。
小田原を本城とする北条三兄弟の絆を、小田原市、八王子市、寄居町で確かめる歴史イベントとなりました。
寄居町総合体育館の柔道場に割り当てられた着替え場所で準備を終え、いざ出陣です。
JR寄居駅の連絡通路を通り抜け、すぐ目の前が出発地点です。
整備事業で駅前にできた施設「Yotteco」の前、コロナ禍以降ここが出発地点となりました。
今年、騎乗する北条氏照役は三ッ鱗会メンバーの岩本さまです。
北条氏照隊 鉄砲隊。撃ち手、前へ
!!
さあ、駅前商業施設「Yotteco」の前からスタートしました。
整備事業でJR寄居駅からまっすぐに延びた道路が荒川越しまで繋がりました。
駅前ルートを右に折れ町屋の中を南下します。
八王子城隊の行軍が粛々と進みます。
八王子城隊の後陣(ごぢん)です。
五月の風を受け絶好のパレード日和です。
お屋敷の家並みを過ぎるとメイン会場の玉淀河原までもうすぐです。
進行の関係上、しばし時間調整です。
画面の左下がメイン会場の玉淀河原です。
ここでも会場入場のための時間調整です。
さあ、いよいよ八王子城隊ご入陣です。
荒川べりに作られたメイン会場に八王子城隊が入ってきました。
このあと北条勢と豊臣軍の攻防戦の前に必勝を祈願して「三献の儀」が取り行われました。
最後はみんな揃って玉淀河原で集合写真です。
以上、掲載した写真と紹介しきれなかった写真を含め、写真集としてまとめました。
閲覧は_右
令和7年 寄居北條まつり
をクリック。
寄居北條まつりが開催
!!
第64回寄居北條まつりが埼玉県寄居町で開催されました(撮影:25/5/11)。
前週の小田原北條五代祭りに続いて戦国北条の時代まつりです。参加した武者の数は500名ということです。
今年の八王子城隊は、NPO八王子城跡三ッ鱗会メンバーを中心に、総勢26名の選りすぐりのメンバーによる参陣でした。
小田原を本城とする北条三兄弟の絆を、小田原市、八王子市、寄居町で確かめる歴史イベントとなりました。
寄居町総合体育館の柔道場に割り当てられた着替え場所で準備を終え、いざ出陣です。
JR寄居駅の連絡通路を通り抜け、すぐ目の前が出発地点です。
整備事業で駅前にできた施設「Yotteco」の前、コロナ禍以降ここが出発地点となりました。
今年、騎乗する北条氏照役は三ッ鱗会メンバーの岩本さまです。
北条氏照隊 鉄砲隊。撃ち手、前へ
!!
さあ、駅前商業施設「Yotteco」の前からスタートしました。
整備事業でJR寄居駅からまっすぐに延びた道路が荒川越しまで繋がりました。
駅前ルートを右に折れ町屋の中を南下します。
八王子城隊の行軍が粛々と進みます。
八王子城隊の後陣(ごぢん)です。
五月の風を受け絶好のパレード日和です。
お屋敷の家並みを過ぎるとメイン会場の玉淀河原までもうすぐです。
進行の関係上、しばし時間調整です。
画面の左下がメイン会場の玉淀河原です。
ここでも会場入場のための時間調整です。
さあ、いよいよ八王子城隊ご入陣です。
荒川べりに作られたメイン会場に八王子城隊が入ってきました。
このあと北条勢と豊臣軍の攻防戦の前に必勝を祈願して「三献の儀」が取り行われました。
最後はみんな揃って玉淀河原で集合写真です。
以上、掲載した写真と紹介しきれなかった写真を含め、写真集としてまとめました。
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小田原北條五代祭りが開催
!!
前日夜までの台風かと思われるような風雨が一転した快晴の中、第61回北條五代祭りが小田原市で開催されました(撮影:25/5/3)。
北条五代の初代当主 北条早雲役は合田雅史さん、四代 北条氏政役は高嶋政伸さんが騎乗し、五代の北条氏直役では柳沢慎吾さんと去年同様、豪華メンバーのそろい踏みでした。
今年の八王子城隊は NPO八王子城跡三ッ鱗会のもと総勢35名の選りすぐりのメンバーによる編成で、例年どおり大型の貸し切りバスで本城小田原まで参陣です。
豪華メンバー、中3人、左から高嶋政伸さん、柳沢慎吾さん、合田雅史さんです。
出陣式も滞りなく終わりいよいよ八王子城隊の出陣です。
銅門(あかがねもん)を背に、今年騎乗の北条氏照役は(株)ANDOビジネスパートナーズ代表 安藤謙一郎さんです。その後に八王子城隊が従います。
八王子城隊の先陣を切るのはNPO八王子城跡三ッ鱗会のMTDさんです。
このあたりが八王子城隊のしんがりです。
馬出し門から城下に出る前にしばし天守(右端後方)とお別れです。
八王子城隊が馬出し門から続々と出てきました。
城下を行軍する高嶋政伸さん、NHK大河ドラマで北条氏政を演じて以降、小田原北條祭りには毎年常勤参加です。高嶋さんが通るとひときわ大きな声援がかかります。
このあたりで八王子城隊の編成メンバーの平均年齢を一気に下げます。
八王子城鉄砲隊、一歩前 !!
鉄砲を撃った後の薬莢(やっきょう)などはきれいに回収します。これも八王子城流のSDGsです。
八王子城隊の城代と重臣たちです。
国際通りを整然と行軍する八王子城隊。
市中から最後のお堀端通りへと上ります。
兵士たちにも多少の安堵が認められます。
武運ありて子の成長に繋がる一日となったようです。
もう馬出し門はすぐ、画面左側前方です。
出発した銅門(あかがねもん)をくぐり、思わず開放されて やったー !!
銅門(あかがねもん)をバックに最後は集合写真です。みんな、おどけた表情ですが、すましたものは次の写真集に載せました。
以上、掲載した写真と紹介しきれなかった写真を含め、写真集としてまとめました。
閲覧は_右
令和7年 小田原北條五代祭り
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小田原北條五代祭りが開催
!!
前日夜までの台風かと思われるような風雨が一転した快晴の中、第61回北條五代祭りが小田原市で開催されました(撮影:25/5/3)。
北条五代の初代当主 北条早雲役は合田雅史さん、四代 北条氏政役は高嶋政伸さんが騎乗し、五代の北条氏直役では柳沢慎吾さんと去年同様、豪華メンバーのそろい踏みでした。
今年の八王子城隊は NPO八王子城跡三ッ鱗会のもと総勢35名の選りすぐりのメンバーによる編成で、例年どおり大型の貸し切りバスで本城小田原まで参陣です。
豪華メンバー、中3人、左から高嶋政伸さん、柳沢慎吾さん、合田雅史さんです。
出陣式も滞りなく終わりいよいよ八王子城隊の出陣です。
銅門(あかがねもん)を背に、今年騎乗の北条氏照役は(株)ANDOビジネスパートナーズ代表 安藤謙一郎さんです。その後に八王子城隊が従います。
八王子城隊の先陣を切るのはNPO八王子城跡三ッ鱗会のMTDさんです。
このあたりが八王子城隊のしんがりです。
馬出し門から城下に出る前にしばし天守(右端後方)とお別れです。
八王子城隊が馬出し門から続々と出てきました。
城下を行軍する高嶋政伸さん、NHK大河ドラマで北条氏政を演じて以降、小田原北條祭りには毎年常勤参加です。高嶋さんが通るとひときわ大きな声援がかかります。
このあたりで八王子城隊の編成メンバーの平均年齢を一気に下げます。
八王子城鉄砲隊、一歩前 !!
鉄砲を撃った後の薬莢(やっきょう)などはきれいに回収します。これも八王子城流のSDGsです。
八王子城隊の城代と重臣たちです。
国際通りを整然と行軍する八王子城隊。
市中から最後のお堀端通りへと上ります。
兵士たちにも多少の安堵が認められます。
武運ありて子の成長に繋がる一日となったようです。
もう馬出し門はすぐ、画面左側前方です。
出発した銅門(あかがねもん)をくぐり、思わず開放されて やったー !!
銅門(あかがねもん)をバックに最後は集合写真です。みんな、おどけた表情ですが、すましたものは次の写真集に載せました。
以上、掲載した写真と紹介しきれなかった写真を含め、写真集としてまとめました。
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令和7年 小田原北條五代祭り
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弐分方城の見学ツアーを実施
昨年新たに発見された弐分方(にぶかた)城の見学ツアーをNPO三ッ鱗会の理事会メンバー10名で行いました(撮影:25/2/3)。
弐分方城についての詳細と発見の経緯はこのホームページ(HP)の24年のトピックスとしてすでに掲載していますのでそちらをご参照下さい。
弐分方城:
連郭式城館 弐分方城を発見
!!
(参照は左ボタンをタップ)
探訪コースは図に示した矢印のとおりです。
八王子市内の町名でいえば、矢印の上側(北側)が弐分方で下側(南側)が元八王子一丁目です。
季節は真冬なので木々の葉は落ちて、樹幹の間から八王子盆地の街並みが透けてよく見えました。
滝山城がある加住丘陵が北方向に見えました。
反対側にある八王子城は元八王子丘陵がじゃまをしてここから望むことはできません。
拡大表示は
をタップ。
登城道は側郭・副郭・主郭に沿って北側に、各曲輪の平場より一段低い位置になだらかに登る勾配で作られています。
大正期以降、北側から宅地開発がせまってこの登城道もところどころ崩落しており、今では半分くらいは消失しています。
ここは主郭の真下で大きく道幅が膨らんで腰曲輪となっています。
この城館を訪れた者の改め所でもあったところであろうと推測されます。
主郭に取りつくところの登城道はやや傾斜があり、進んで行くと道なりに右にカーブした土塁に誘導されて自然と主郭に入ります。
ぐるりと主郭部を見学し、ここは主郭と副郭の間に作られた空堀りです。
弐分方城が中世の城館であることを証明できる場所のひとつです。
今回参加されたメンバーにとってここ(弐分方城)はほぼ地元です。
皆さん、こんな身近ところに人知れず城跡(しろあと)が残っていたことに驚いていました。
発見のきっかけは 2023年9月、東京都が公開した赤色立体地図を活用したものです。
高尾山薬王院文書などにある「八王寺(子)番」にあたるものをこの赤色図を応用してスクリーニングしようとした結果、探し当てることができました。
あらためてここを歩いてみて感じるのは強い戦う意思で造られたギラギラした構造ではなく、ほのぼのとまったりとした連郭式城館です。
その視点が北条氏照が滝山城主だった時代のものか八王子城主のころのものかの判別のカギになると考えています。
弐分方城の見学ツアーを実施
昨年新たに発見された弐分方(にぶかた)城の見学ツアーをNPO三ッ鱗会の理事会メンバー10名で行いました(撮影:25/2/3)。
弐分方城についての詳細と発見の経緯はこのホームページ(HP)の24年のトピックスとしてすでに掲載していますのでそちらをご参照下さい。
弐分方城:
連郭式城館 弐分方城を発見
!!
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探訪コースは図に示した矢印のとおりです。
八王子市内の町名でいえば、矢印の上側(北側)が弐分方で下側(南側)が元八王子一丁目です。
季節は真冬なので木々の葉は落ちて、樹幹の間から八王子盆地の街並みが透けてよく見えました。
滝山城がある加住丘陵が北方向に見えました。
反対側にある八王子城は元八王子丘陵がじゃまをしてここから望むことはできません。
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登城道は側郭・副郭・主郭に沿って北側に、各曲輪の平場より一段低い位置になだらかに登る勾配で作られています。
大正期以降、北側から宅地開発がせまってこの登城道もところどころ崩落しており、今では半分くらいは消失しています。
ここは主郭の真下で大きく道幅が膨らんで腰曲輪となっています。
この城館を訪れた者の改め所でもあったところであろうと推測されます。
主郭に取りつくところの登城道はやや傾斜があり、進んで行くと道なりに右にカーブした土塁に誘導されて自然と主郭に入ります。
ぐるりと主郭部を見学し、ここは主郭と副郭の間に作られた空堀りです。
弐分方城が中世の城館であることを証明できる場所のひとつです。
今回参加されたメンバーにとってここ(弐分方城)はほぼ地元です。
皆さん、こんな身近ところに人知れず城跡(しろあと)が残っていたことに驚いていました。
発見のきっかけは 2023年9月、東京都が公開した赤色立体地図を活用したものです。
高尾山薬王院文書などにある「八王寺(子)番」にあたるものをこの赤色図を応用してスクリーニングしようとした結果、探し当てることができました。
あらためてここを歩いてみて感じるのは強い戦う意思で造られたギラギラした構造ではなく、ほのぼのとまったりとした連郭式城館です。
その視点が北条氏照が滝山城主だった時代のものか八王子城主のころのものかの判別のカギになると考えています。
2025年の初日の出です
2025年の八王子城山の初日の出です(撮影:25/1/1.AM 6:58)。
近年にない暖かい新年です。
城跡駐車場から登りはじめ、金子曲輪あたりから少しずつ回りが明るくなってきました。
新型コロナを契機に来られる人の数が2/3くらいに減ったという感じです。
これだけ人がいる中で知っている人は一人もいませんでした。
9合目上の展望スポット。見えている範囲は戦国北条の支配下です。
2024年の初日の出です
2024年の八王子城山の初日の出です(撮影:24/1/1.AM 6:51)。
ようやくコロナ禍を抜けた新年です。
近年にない暖かい新年で、城跡駐車場から登りはじめ、金子曲輪あたりから少しずつ回りが明るくなってきました。
新型コロナ前に比べると2/3くらいの人数という感じでした。
これだけ人がいる中で知っている人は一人もいませんでした。
9合目上の展望スポット。見えている範囲は戦国北条の支配下です。
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2024年のトピックス
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2023年のトピックス
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2022年のトピックス
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2021年のトピックス
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2020年のトピックス
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2019年のトピックス
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2017年のトピックス
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2012年のトピックス
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