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イメージ八王子城詰城で登り石垣を発見

八王子城の詰城北尾根で登り石垣を発見しました(掲載:26/3/17)。
八王子城域内では、これはひょっとして登り石垣かも、と考えられるものは多少なりとも存在します。
ただそれが、崩落などにより断片的だったりして確信をもって言えるものではありませんでした。
今回、見ての通り登り石垣の構造を呈する石垣列を発見しましたので報告いたします。

イメージ 下にはしっかりとアゴ止め石を直線状に敷設(ふせつ)してあります。
登り石垣の斜度は尾根線の斜度に平行したものとなっています。


今回の石垣の八王子城域内における場所

イメージ 今回、登り石垣を発見した箇所を赤矢印で示しました。
場所は八王子城域内の最深部、詰城北尾根の西側斜面です。


「八王子城バーチャル案内」で今回の撮影位置を確認


「八王子城バーチャル案内」は松村 正一さまが開発した、八王子城を3次元で表現するアプリです。
2023年9月、東京都が公開した赤色立体地図のデータを活用したものです。
「八王子城バーチャル案内」の利用はこの記事の最後にリンクを記載しておきましたのでご参照ください。

今回の撮影は上の図の、①は北から南の方向へ、②は西から東のへと、ほぼ「90°」角度をずらして行いました。


地点①からアゴ止め石を敷設した石垣構造を検出

イメージ 八王子城にはアゴ止め石を使用した石垣が複数個所ありますが 、多くは寸断され一部分だけが残残する状態になっています。
今回、詰城北尾根で発見したものは、その尾根線に平行して延びており、ほぼ一直線に敷設(ふせつ)されていました。


地点②から見て、登り石垣構造と判断


①の地点からカメラの角度を90°変え、この②の撮影地点に立ち石垣に正面から対峙したとき、見ての通り登り石垣構造だと判断できました。
登り石垣は豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、倭(わ)城で用いられたのが最初というのが定説です。
八王子城は築城開始が天正十年(1582)以降で、城主 北条氏照は天正十五年(1587)までには居城を滝山城から八王子城に移しています。
すなわち、ここは秀吉の倭城より5年以上前に築かれたということになります。


撮影地点への立ち入りは禁止です

前掲の「八王子城バーチャル案内」の図で撮影地点を見ていただいてわかるように、今回、カメラを構えた場所は急峻な崖です。
たとえ山城歩きに慣れている方にとっても危険な場所です。
絶対に降り立ったりしないで下さい。


「八王子城バーチャル案内」の参照(リンク)

閲覧は_右 八王子城バーチャル案内 をクリック。


YouTube:八王子城速報 登り石垣発見

イメージ この記事に関しては動画の方が迫真力がある内容になると考え「YouTube」にアップしてあります。
八王子城が3D空間の中で回転する動画をお楽しみ下さい。

閲覧はアイコンをクリック。

イメージ八王子城詰城で登り石垣を発見

八王子城の詰城北尾根で登り石垣を発見しました(掲載:26/3/17)。
八王子城域内では、これはひょっとして登り石垣かも、と考えられるものは多少なりとも存在します。
ただそれが、崩落などにより断片的だったりして確信をもって言えるものではありませんでした。
今回、見ての通り登り石垣の構造を呈する石垣列を発見しましたので報告いたします。

イメージ 下にはしっかりとアゴ止め石を直線状に敷設(ふせつ)してあります。
登り石垣の斜度は尾根線の斜度に平行したものとなっています。


今回の石垣の八王子城域内における場所

イメージ 今回、登り石垣を発見した箇所を赤矢印で示しました。
場所は八王子城域内の最深部、詰城北尾根の西側斜面です。


「八王子城バーチャル案内」で今回の撮影位置を確認


「八王子城バーチャル案内」は松村 正一さまが開発した、八王子城を3次元で表現するアプリです。
2023年9月、東京都が公開した赤色立体地図のデータを活用したものです。
「八王子城バーチャル案内」の利用はこの記事の最後にリンクを記載しておきましたのでご参照ください。

今回の撮影は上の図の、①は北から南の方向へ、②は西から東のへと、ほぼ「90°」角度をずらして行いました。


地点①からアゴ止め石を敷設した石垣構造を検出

イメージ 八王子城にはアゴ止め石を使用した石垣が複数個所ありますが 、多くは寸断され一部分だけが残残する状態になっています。
今回、詰城北尾根で発見したものは、その尾根線に平行して延びており、ほぼ一直線に敷設(ふせつ)されていました。


地点②から見て、登り石垣構造と判断


①の地点からカメラの角度を90°変え、この②の撮影地点に立ち石垣に正面から対峙したとき、見ての通り登り石垣構造だと判断できました。
登り石垣は豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、倭(わ)城で用いられたのが最初というのが定説です。
八王子城は築城開始が天正十年(1582)以降で、城主 北条氏照は天正十五年(1587)までには居城を滝山城から八王子城に移しています。
すなわち、ここは秀吉の倭城より5年以上前に築かれたということになります。


撮影地点への立ち入りは禁止です

前掲の「八王子城バーチャル案内」の図で撮影地点を見ていただいてわかるように、今回、カメラを構えた場所は急峻な崖です。
たとえ山城歩きに慣れている方にとっても危険な場所です。
絶対に降り立ったりしないで下さい。


「八王子城バーチャル案内」の参照(リンク)

閲覧は_右 八王子城バーチャル案内 をクリック。


YouTube: 八王子城速報 登り石垣発見

イメージ この記事に関しては動画の方が迫真力がある内容になると考え「YouTube」にアップしてあります。
八王子城が3D空間の中で回転する動画をお楽しみ下さい。

閲覧はアイコンをクリック。














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