本文へスキップ
八王子城 公式ガイド
公式ガイド
Official Guide Group
見出し
HEADLINE
24年 北条氏照まつりを開催
!!
第13回「北条氏照まつり」が開催されました(撮影:2024/10/27)。
日本百名城八王子城跡のガイダンス施設から御主殿までを会場として行われたものです。
参加した武者の数は八王子城隊80名余。小田原城、韮山城、鉢形城をはじめとした友城から馳せ参じた武者たちを含め総勢170名の武者イベントとなりました。
去年と同じで八王子城跡ガイダンス西側の駐車場からのスタートです。
まず、ジオラマ広場をめざして行軍開始です。
今年の北条氏照公役はNPO三ッ鱗会 AKYさんです。
同じく、比佐御前役は三ッ鱗会 HNOさんです。
ここはジオラマ広場です。露店がブースを構えていますが今年は数が少ないです。
城域内に入って最初に城山川を渡る橋、人道橋です。後ろはアシダ曲輪、土塁で囲まれています。
八王子城隊、大手門前まで進軍してきました。
大手門跡を背に御主殿をめざして歩を進めます。
八王子城隊、御主殿虎口に到着しました。右手後方の曳橋上も八王子城隊の軍勢です。
氏照公、比佐御前の登城です。
八王子城隊、虎口石段を登ります。
八王子城隊、足軽隊(鉄砲隊)です。
御主殿へ入陣です。
八王子城隊が勢ぞろいしました。
拡大表示は
をタップ。
出陣の前に三献の儀(さんこんのぎ)を取り行いました。
最後にご来賓の皆さまもご一緒に鬨の声(ときのこえ)、エイエイオーです。
24年 北条氏照まつりを開催
!!
第13回「北条氏照まつり」が開催されました(撮影:2024/10/27)。
日本百名城八王子城跡のガイダンス施設から御主殿までを会場として行われたものです。
参加した武者の数は八王子城隊80名余。小田原城、韮山城、鉢形城をはじめとした友城から馳せ参じた武者たちを含め総勢170名の武者イベントとなりました。
去年と同じで八王子城跡ガイダンス西側の駐車場からのスタートです。
まず、ジオラマ広場をめざして行軍開始です。
今年の北条氏照公役はNPO三ッ鱗会 AKYさんです。
同じく、比佐御前役は三ッ鱗会 HNOさんです。
ここはジオラマ広場です。露店がブースを構えていますが今年は数が少ないです。
城域内に入って最初に城山川を渡る橋、人道橋です。後ろはアシダ曲輪、土塁で囲まれています。
八王子城隊、大手門前まで進軍してきました。
大手門跡を背に御主殿をめざして歩を進めます。
八王子城隊、御主殿虎口に到着しました。右手後方の曳橋上も八王子城隊の軍勢です。
氏照公、比佐御前の登城です。
八王子城隊、虎口石段を登ります。
八王子城隊、足軽隊(鉄砲隊)です。
御主殿へ入陣です。
八王子城隊が勢ぞろいしました。
拡大表示は
をタップ。
出陣の前に三献の儀(さんこんのぎ)を取り行いました。
最後にご来賓の皆さまもご一緒に鬨の声(ときのこえ)、エイエイオーです。
八王子城域内で巨大な風倒木痕
八王子城域内で巨大な風倒木痕を目(ま)の当たりにしました(撮影:24/9/21)。
8月19日(木)の午後、八王子市あたりで突風や雹(ひょう)が吹き荒れたことによるものです。
城域内でこの1~2年、ナラ枯れによって立ち枯れした巨木がものすごい音とともに土煙を上げて倒れるのを目にすることがあるのですが、こんな大木が何本もまとまって倒れていたとは、初めて見ました。
今回のものはナラ枯れのような枯れた樹木ではなく生木です。
太い生木が5本以上ひと塊りになって倒れています。
太鼓曲輪を通る登山道は写真のすぐ左側にあります。
同じ現場を角度を変えて見てみました。
スケールのため男性に立ってもらっています。
彼は身長184cm、かなり大きな方です。
目算すると、楕円形の風倒木根(痕)の高さ約5m、横幅10mです。
八王子城にかぎらず多くの登山道を歩いてきましたが、未だかつて見たことがないくらいの大きさです。
八王子城の縄張り図に場所を示しておきました。
水色の○印です。
現場は太鼓曲輪の尾根の背のあたりですが、幸いなことに倒れた方向は谷側です。
今回の突風は本当にピンポイントだったようです。
八王子城跡の見学の標準的なコースの御主殿まわりでは樹木の枝や葉っぱが散乱していますが歩行には問題はありません。。
また、管理棟に立ち寄る登山者の方々の話を聞いても、管理棟→山頂部→富士見台あたりの登山道では特に大きな倒木はないようです。
八王子城域内で巨大な風倒木痕
八王子城域内で巨大な風倒木痕を目(ま)の当たりにしました(撮影:24/9/21)。
8月19日(木)の午後、八王子市あたりで突風や雹(ひょう)が吹き荒れたことによるものです。
城域内でこの1~2年、ナラ枯れによって立ち枯れした巨木がものすごい音とともに土煙を上げて倒れるのを目にすることがあるのですが、こんな大木が何本もまとまって倒れていたとは、初めて見ました。
今回のものはナラ枯れのような枯れた樹木ではなく生木です。
太い生木が5本以上ひと塊りになって倒れています。
太鼓曲輪を通る登山道は写真のすぐ左側にあります。
同じ現場を角度を変えて見てみました。
スケールのため男性に立ってもらっています。
彼は身長184cm、かなり大きな方です。
目算すると、楕円形の風倒木根(痕)の高さ約5m、横幅10mです。
八王子城にかぎらず多くの登山道を歩いてきましたが、未だかつて見たことがないくらいの大きさです。
八王子城の縄張り図に場所を示しておきました。
水色の○印です。
現場は太鼓曲輪の尾根の背のあたりですが、幸いなことに倒れた方向は谷側です。
今回の突風は本当にピンポイントだったようです。
八王子城跡の見学の標準的なコースの御主殿まわりでは樹木の枝や葉っぱが散乱していますが歩行には問題はありません。。
また、管理棟に立ち寄る登山者の方々の話を聞いても、管理棟→山頂部→富士見台あたりの登山道では特に大きな倒木はないようです。
子ども手作り甲冑教室を開催
2024年子ども手作り甲冑教室が開催されました(撮影:24/8/11)。
主催は八王子市文化財課でNPO八王子城跡三ッ鱗会が協力したものです。
会場は城跡ガイダンス施設で、市の公報で募集に応じた19名の皆さんが参加しました(プラスご家族がそれとほぼ同数)。
今までは二日間の工程でしたが今年からは作業を圧縮して1日での仕上げとなりました。
最初に各部品、作業の進め方に関する全般的な説明です。
甲冑づくりの基本が紐(ひも)による作業です。
紐よる作業は威す(おどす)と呼ばれ各部品を紐でつづり合わせたり飾ったりと重要です。
まず、紐を威(おど)して「草ずり」を作っています。
威(おど)しはきつく引っ張らず、ふんわりと仕上げるのがコツです。
作った草ずりはつなぎ合わせます。
次は胴の作成です。
胴に三ッ鱗の家紋を貼り付けます。
綺麗にいくか緊張の作業です。
三ッ鱗の家紋の貼り付けがうまくいったようです。
胴に付けた草ずりを身丈に合わせて調整します。
草ずりは戦のとき、下腹・太腿(ふともも)を保護します。
最後の工程は兜(かぶと)の作成です。
子どもを笑顔にするプロジェクト「おりかぶと」として市内の小学校の訪問授業でやってきたものを取り込んでいます。
三日月型をした前立て(まえだて)を取り付けると兜は完成です。
いざ、戦わん !!
八王子城の三ッ鱗の幟旗をバックに完成お披露目です。
どうでしょう。
八王子城鉄砲隊(候補生)です。
何やら「うじてるくん」が来てくれたようです。
最後はみんなで集合写真です。
今までは外で八王子城本丸方向をバックにした記念写真でしたが、今年はこの暑さなので屋内でした。
参加された小学生の皆さん、ご家族のの方々、お疲れさまでした。
この中のどれくらいの子どもたちが秋の「北条氏照まつり」(10/27)に参加してくれるでしょうか。
楽しみです。
主催された文化財課の皆さん、指導されたNPO三ッ鱗会の皆さん、お疲れさまでした。
子ども手作り甲冑教室を開催
2024年子ども手作り甲冑教室が開催されました(撮影:24/8/11)。
主催は八王子市文化財課でNPO八王子城跡三ッ鱗会が協力したものです。
会場は城跡ガイダンス施設で、市の公報で募集に応じた19名の皆さんが参加しました(プラスご家族がそれとほぼ同数)。
今までは二日間の工程でしたが今年からは作業を圧縮して1日での仕上げとなりました。
最初に各部品、作業の進め方に関する全般的な説明です。
甲冑づくりの基本が紐(ひも)による作業です。
紐よる作業は威す(おどす)と呼ばれ各部品を紐でつづり合わせたり飾ったりと重要です。
まず、紐を威(おど)して「草ずり」を作っています。
威(おど)しはきつく引っ張らず、ふんわりと仕上げるのがコツです。
作った草ずりはつなぎ合わせます。
次は胴の作成です。
胴に三ッ鱗の家紋を貼り付けます。
綺麗にいくか緊張の作業です。
三ッ鱗の家紋の貼り付けがうまくいったようです。
胴に付けた草ずりを身丈に合わせて調整します。
草ずりは戦のとき、下腹・太腿(ふともも)を保護します。
最後の工程は兜(かぶと)の作成です。
子どもを笑顔にするプロジェクト「おりかぶと」として市内の小学校の訪問授業でやってきたものを取り込んでいます。
三日月型をした前立て(まえだて)を取り付けると兜は完成です。
いざ、戦わん !!
八王子城の三ッ鱗の幟旗をバックに完成お披露目です。
どうでしょう。
八王子城鉄砲隊(候補生)です。
何やら「うじてるくん」が来てくれたようです。
最後はみんなで集合写真です。
今までは外で八王子城本丸方向をバックにした記念写真でしたが、今年はこの暑さなので屋内でした。
参加された小学生の皆さん、ご家族のの方々、お疲れさまでした。
この中のどれくらいの子どもたちが秋の「北条氏照まつり」(10/27)に参加してくれるでしょうか。
楽しみです。
主催された文化財課の皆さん、指導されたNPO三ッ鱗会の皆さん、お疲れさまでした。
「山と渓谷」山城特集:八王子城跡の特別展示
「山と渓谷」誌の山城特集で2023年2月号に八王子城跡が取り上げられた内容の特別展示です(掲載:24/7/28)。
場所は八王子城跡ガイダンス施設休憩スペース、期間は令和6年(2024年)7月29日(月)から9月3日(火)までを予定しています(市文化財課)。
これは国民の祝日として「山の日」が制定された平成28年から毎年開催されている「山の日」全国大会が、今年度は東京都で実施され、関連フェステバルが八王子市内で催されることに呼応したものということです。
誌面では山歩きと山城探訪の融合による相乗効果が期待され、そのステージとして八王子城跡が取り上げられました。
展示会場は八王子城本丸(山頂部)を望みクールシェルター(涼みどころ)としても最適なロケーションです。
酷暑を乗り切る選択のひとつとしてご活用下さい。
八王子城々山は山とはいえ低山です。夏は都心部と同じように暑いです。
もし、山頂部まで歩かれるのならば(敵期は)秋~冬~春がおすすめです。
今回のパネル展示が行われている城跡ガイダンス施設です。
JR高尾駅北口からの直通バスが土日祝日に運行されています。この建物のすぐ右手(裏)にバスロータリーがあります。
駐車場はこの左手に十分な駐車スペースがあります(無料。AM9:00-PM5:00)。
今回のパネル展用のポスターです。
ここは富士見台や陣馬山方面の山歩きの起点(終点)となる位置にあります。
山城とはなんぞや?
ということで山城の入門から構造やパーツの解説が展開されます。
背景の屋外は八王子城本丸(山頂部)方面です。
いざ、八王子城へ参らん!
八王子城に踏み入れた中で、山城歩きの奥深さと当時の姿を想像する楽しさを紹介しています。
「山と渓谷」山城特集:八王子城跡の特別展示
「山と渓谷」誌の山城特集で2023年2月号に八王子城跡が取り上げられた内容の特別展示です(掲載:24/7/28)。
場所は八王子城跡ガイダンス施設休憩スペース、期間は令和6年(2024年)7月29日(月)から9月3日(火)までを予定しています(市文化財課)。
これは国民の祝日として「山の日」が制定された平成28年から毎年開催されている「山の日」全国大会が、今年度は東京都で実施され、関連フェステバルが八王子市内で催されることに呼応したものということです。
誌面では山歩きと山城探訪の融合による相乗効果が期待され、そのステージとして八王子城跡が取り上げられました。
展示会場は八王子城本丸(山頂部)を望みクールシェルター(涼みどころ)としても最適なロケーションです。
酷暑を乗り切る選択のひとつとしてご活用下さい。
八王子城々山は山とはいえ低山です。夏は都心部と同じように暑いです。
もし、山頂部まで歩かれるのならば(敵期は)秋~冬~春がおすすめです。
今回のパネル展示が行われている城跡ガイダンス施設です。
JR高尾駅北口からの直通バスが土日祝日に運行されています。この建物のすぐ右手(裏)にバスロータリーがあります。
駐車場はこの左手に十分な駐車スペースがあります(無料。AM9:00-PM5:00)。
今回のパネル展用のポスターです。
ここは富士見台や陣馬山方面の山歩きの起点(終点)となる位置にあります。
山城とはなんぞや?
ということで山城の入門から構造やパーツの解説が展開されます。
背景の屋外は八王子城本丸(山頂部)方面です。
いざ、八王子城へ参らん!
八王子城に踏み入れた中で、山城歩きの奥深さと当時の姿を想像する楽しさを紹介しています。
NPO三ッ鱗会々報 講演特別号発行
NPO三ッ鱗会々報 講演特別号が発行されました(掲載:24/7/17)。
この講演は本年6月に、NPO「八王子城跡 三ッ鱗会」が定期総会を持ち、その記念として開催されたものです。
一昨年、昨年と記念講演を会報特別号として発行したところ好評で、今年度も講師の市文化財課 村山 修さまに多大のご協力をいただき会報特別号第三弾として発行したということです。
内容は八王子城跡の石垣ということで、今までに発掘されたものなどを題材にして、戦国時代の関東としてはめずらしい石垣の城を解説したものとなっています。
ご希望の方は城跡管理棟で、その旨お声かけしていただければ差し上げしています。
最初に登城する際まず目にする虎口石段などにふれ、そのあと核心として八王子城の石垣を発掘時と現在の姿を対比し網羅して紹介します。
最後に御主殿が石作り構造物によって区切られた三段(三面)の高低差のある削平地から構成されることを推測します。
これが城跡管理棟、右半分がガイドの詰所になっています。
講演特別号をご希望の方は管理棟でお声かけして下さい。
上の写真のいらっしゃいませアイコンのドアをノックしてガイドからいただいて下さい。
(上の写真のアイコンのドアは画像のはめ込みなので、実際は通常のドアです)
今回は NPO三ッ鱗会々報 特別号第三弾ということです。
今後、この企画がどう展開していくのかが楽しみです。
NPO三ッ鱗会々報 講演特別号発行
NPO三ッ鱗会々報 講演特別号が発行されました(掲載:24/7/17)。
この講演は本年6月に、NPO「八王子城跡 三ッ鱗会」が定期総会を持ち、その記念として開催されたものです。
一昨年、昨年と記念講演を会報特別号として発行したところ好評で、今年度も講師の市文化財課 村山 修さまに多大のご協力をいただき会報特別号第三弾として発行したということです。
内容は八王子城跡の石垣ということで、今までに発掘されたものなどを題材にして、戦国時代の関東としてはめずらしい石垣の城を解説したものとなっています。
ご希望の方は城跡管理棟で、その旨お声かけしていただければ差し上げしています。
最初に登城する際まず目にする虎口石段などにふれ、そのあと核心として八王子城の石垣を発掘時と現在の姿を対比し網羅して紹介します。
最後に御主殿が石作り構造物によって区切られた三段(三面)の高低差のある削平地から構成されることを推測します。
これが城跡管理棟、右半分がガイドの詰所になっています。
講演特別号をご希望の方は管理棟でお声かけして下さい。
上の写真のいらっしゃいませアイコンのドアをノックしてガイドからいただいて下さい。
(上の写真のアイコンのドアは画像のはめ込みなので、実際は通常のドアです)
今回は NPO三ッ鱗会々報 特別号第三弾ということです。
今後、この企画がどう展開していくのかが楽しみです。
寄居北條まつりが開催
!!
第63回寄居北條まつりが埼玉県寄居町で開催されました(撮影:24/5/12)。
コロナで4年のブランクがあり、今回は従来の形で再開されて2年目、武者の参加者が500名であったということです。
今年の八王子城隊は、NPO八王子城跡三ッ鱗会メンバーを中心に、総勢24名の選りすぐりのメンバーによる参陣でした。
小田原を本城とする北条三兄弟の絆を、小田原市、八王子市、寄居町で確かめる歴史イベントとなりました。
寄居町総合体育館の柔道場の着替え場所で準備を終え、いざ出陣です。
JR寄居駅の連絡通路を通り抜け、すぐ目の前が出発地点です。
整備事業で駅前にできた施設「Yotteco」の前、去年からここが出発地点でした。
さあ、いよいよ行軍開始です。八王子城隊、いざ、出陣
!!
北条氏照隊 鉄砲隊。撃ち手、前へ
!!
右端は最近参加し始めた将来を背負うメンバー、よろしくです。
整備事業でJR寄居駅からまっすぐに延びた道路がここまで繋がりました。
お屋敷の家並みに来るとメイン会場の玉淀河原までもうすぐです。
八王子城隊の行軍が粛々と進みます。
眼下に広がるのが寄居北條まつりのメイン会場の玉淀河原です。
いざ!! 八王子城隊の入陣です。
八王子城隊の後陣(ごぢん)です。
北条勢と豊臣軍の攻防戦の前に必勝を祈願して「三献の儀」が取り行われます。
寄居北條まつりの真骨頂、大筒(おおづつ風?)の実射 見せ場です。
最後はみんな揃って玉淀河原で集合写真です。
以上、掲載した写真と紹介しきれなかった写真を含め、写真集としてまとめました。
閲覧は_右
令和6年 寄居北條まつり
をクリック。
寄居北條まつりが開催
!!
第63回寄居北條まつりが埼玉県寄居町で開催されました(撮影:24/5/12)。
コロナで4年のブランクがあり、今回は従来の形で再開されて2年目、武者の参加者が500名であったということです。
今年の八王子城隊は、NPO八王子城跡三ッ鱗会メンバーを中心に、総勢24名の選りすぐりのメンバーによる参陣でした。
小田原を本城とする北条三兄弟の絆を、小田原市、八王子市、寄居町で確かめる歴史イベントとなりました。
寄居町総合体育館の柔道場の着替え場所で準備を終え、いざ出陣です。
JR寄居駅の連絡通路を通り抜け、すぐ目の前が出発地点です。
整備事業で駅前にできた施設「Yotteco」の前、去年からここが出発地点でした。
さあ、いよいよ行軍開始です。八王子城隊、いざ、出陣
!!
北条氏照隊 鉄砲隊。撃ち手、前へ
!!
右端は最近参加し始めた将来を背負うメンバー、よろしくです。
整備事業でJR寄居駅からまっすぐに延びた道路がここまで繋がりました。
お屋敷の家並みに来るとメイン会場の玉淀河原までもうすぐです。
八王子城隊の行軍が粛々と進みます。
眼下に広がるのが寄居北條まつりのメイン会場の玉淀河原です。
いざ!! 八王子城隊の入陣です。
八王子城隊の後陣(ごぢん)です。
北条勢と豊臣軍の攻防戦の前に必勝を祈願して「三献の儀」が取り行われます。
寄居北條まつりの真骨頂、大筒(おおづつ風?)の実射 見せ場です。
最後はみんな揃って玉淀河原で集合写真です。
以上、掲載した写真と紹介しきれなかった写真を含め、写真集としてまとめました。
閲覧は_右
令和6年 寄居北條まつり
をクリック。
小田原北條五代祭りが開催
!!
第60回北條五代祭りが小田原市で開催されました(撮影:24/5/3)。
北条五代の四代当主北条氏政公役では去年と同様に高嶋政伸さんが騎乗し、五代の北条氏直役では柳沢慎吾さんが続きました。
今年の八王子城隊ですが、NPO八王子城跡三ッ鱗会のもと、総勢31名の選りすぐりのメンバーによる編成で、例年どおり大型の貸し切りバスで本城小田原まで参陣です。
報道では過去最高の人出だったという去年ですが、今年はさらに多くの人が沿道に集まっているという印象でした。
八王子城隊は、10年以上前からこの五代祭りに参加していますが天守前で集合写真は初めてです。
銅門(あかがねもん)の前。高嶋政伸さんも馬上から出陣の頃合いを見計らっています。
八王子城隊、今年の北条氏照公役は前八王子市長の石森孝志さんです。
さあ出発、八王子城隊の出陣です。
馬出し門から八王子城隊の先陣が出てきました。
続くのは八王子城足軽隊、別名:鉄砲隊です。
市中の行軍に出た八王子城隊。三ッ鱗の旗が目映い(まばゆい)です。
八王子城薙刀(なぎなた)隊です。
八王子城鉄砲隊、一歩前 !!
市の中心部へ向かう本陣隊です。
だいぶ中心部に近づいてきました。
沿道の皆さんの声援もひときわ高くなってきました。
さあ、そろそろ帰城となります。
市中からお堀端通りへと上ります。
無事、小田原本城へと帰ってきました。
出発した銅門(あかがねもん)です。
最後はみんな揃って銅門をバックに集合写真です。
以上、掲載した写真と紹介しきれなかった写真を含め、写真集としてまとめました。
閲覧は_右
令和6年 小田原北條五代祭り
をクリック。
小田原北條五代祭りが開催
!!
第60回北條五代祭りが小田原市で開催されました(撮影:24/5/3)。
北条五代の四代当主北条氏政公役では去年と同様に高嶋政伸さんが騎乗し、五代の北条氏直役では柳沢慎吾さんが続きました。
今年の八王子城隊ですが、NPO八王子城跡三ッ鱗会のもと、総勢31名の選りすぐりのメンバーによる編成で、例年どおり大型の貸し切りバスで本城小田原まで参陣です。
報道では過去最高の人出だったという去年ですが、今年はさらに多くの人が沿道に集まっているという印象でした。
八王子城隊は、10年以上前からこの五代祭りに参加していますが天守前で集合写真は初めてです。
銅門(あかがねもん)の前。高嶋政伸さんも馬上から出陣の頃合いを見計らっています。
八王子城隊、今年の北条氏照公役は前八王子市長の石森孝志さんです。
さあ出発、八王子城隊の出陣です。
馬出し門から八王子城隊の先陣が出てきました。
続くのは八王子城足軽隊、別名:鉄砲隊です。
市中の行軍に出た八王子城隊。三ッ鱗の旗が目映い(まばゆい)です。
八王子城薙刀(なぎなた)隊です。
八王子城鉄砲隊、一歩前 !!
市の中心部へ向かう本陣隊です。
だいぶ中心部に近づいてきました。
沿道の皆さんの声援もひときわ高くなってきました。
さあ、そろそろ帰城となります。
市中からお堀端通りへと上ります。
無事、小田原本城へと帰ってきました。
出発した銅門(あかがねもん)です。
最後はみんな揃って銅門をバックに集合写真です。
以上、掲載した写真と紹介しきれなかった写真を含め、写真集としてまとめました。
閲覧は_右
令和6年 小田原北條五代祭り
をクリック。
「赤色立体縄張り図」をもとに八王子城最大の竪掘りを発見
ひとつ下の記事で作成した八王子城「赤色立体縄張り図」をもとに八王子城最大級の竪掘りを発見しました(記事作成:2024/3/14)。
これは赤色立体地図の活用が中世(や戦国)の城跡の構造解明にきわめて有効な手段になるという証左になります。
八王子城における最大級の竪掘り
!!
場所は詰め城の南に下る石塁の尾根からさらに東に延びる尾根の東端、そこから東南に下るとやがてやや緩やかに展開する斜面があります。
この竪掘りはそこにあります。
縄張り図(部分掲載)に白枠で示しておきました。
八王子城域内では自然地形の巨大な谷筋が各所にありそれらを竪掘りだという人が多くいます。
それに対しここは平板状の斜面に「ゴジラ-1.0」(ゴジラ マイナス ワン)がかき削ったかと思わせるような太い空掘りが下方に延びています。
また、上に平地がないので林業作業での木材降下用の筋ではという危惧は不要です。
先達の文献にもこの竪掘りの記載はない
現代の八王子城の解明に多大な貢献をされた小松敏盛氏が記載した「八王子城跡現状遺構図」を見ても今回の竪掘りの記載はありません。
八王子城: みる・きく・あるく_1989年_峰岸 純夫・椚 國男:編
また、東京都の中世城館_東京都教育委員会:編_2013年、八王子市郷土資料館「八王子城」などにも全くこの竪掘りの痕跡はありません。
今回、下の記事で参照している八王子城「赤色立体縄張り図」を、新たに発見した竪掘りを反映させたものに修正しました。
あわせて新たな追記も2・3か所行っています。
修正版は次からたどってみて下さい。
2.82 MB、5090 x 3600 pixel
1.49 MB、2000 x 1414 pixel
「赤色立体縄張り図」をもとに八王子城最大の竪掘りを発見
ひとつ下の記事で作成した八王子城「赤色立体縄張り図」をもとに八王子城最大級の竪掘りを発見しました(記事作成:2024/3/14)。
これは赤色立体地図の活用が中世(や戦国)の城跡の構造解明にきわめて有効な手段になるという証左になります。
八王子城における最大級の竪掘り
!!
場所は詰め城の南に下る石塁の尾根からさらに東に延びる尾根の東端、そこから東南に下るとやがてやや緩やかに展開する斜面があります。
この竪掘りはそこにあります。
縄張り図(部分掲載)に白枠で示しておきました。
八王子城域内では自然地形の巨大な谷筋が各所にありそれらを竪掘りだという人が多くいます。
それに対しここは平板状の斜面に「ゴジラ-1.0」(ゴジラ マイナス ワン)がかき削ったかと思わせるような太い空掘りが下方に延びています。
また、上に平地がないので林業作業での木材降下用の筋ではという危惧は不要です。
先達の文献にもこの竪掘りの記載はない
現代の八王子城の解明に多大な貢献をされた小松敏盛氏が記載した「八王子城跡現状遺構図」を見ても今回の竪掘りの記載はありません。
八王子城: みる・きく・あるく_1989年_峰岸 純夫・椚 國男:編
また、東京都の中世城館_東京都教育委員会:編_2013年、八王子市郷土資料館「八王子城」などにも全くこの竪掘りの痕跡はありません。
今回、下の記事で参照している八王子城「赤色立体縄張り図」を、新たに発見した竪掘りを反映させたものに修正しました。
あわせて新たな追記も2・3か所行っています。
修正版は次からたどってみて下さい。
2.82 MB、5090 x 3600 pixel
1.49 MB、2000 x 1414 pixel
八王子城「赤色立体縄張り図」を作成
東京都が公開した赤色立体地図をもとに八王子城「赤色立体縄張り図」を作成しました(記事作成:2024/2/7)。
赤色立体地図(以下赤色図と略)は長い年月の中で樹木が繁茂したような場所でもそれらを透過して、地表の微細な凹凸を可視化する技術です。
防災の観点からハザードマップがすでに全国的に展開されていますが、赤色図はそれを補完するものとして位置づけられています。
この技術を城跡の構造解明に応用しようとする試みはすでに散発的に行われていて、NHKの歴史番組のなどでも使われています。
2023/9/1 に東京都が多摩地区の微精細の赤色図・陰陽図を公開しましたので、八王子城にもそれを応用して「赤色立体縄張り図」を作成しました。
2.82 MB、5090 x 3600 pixel
1.49 MB、2000 x 1414 pixel
八王子城にも連続竪堀がありました
!!
赤色立体縄張り図(以下、これも赤色図と略)を活用して城郭の構造解明に結びつける一例を紹介しておきます。
今回は竪掘りです。
八王子城ではあれも竪掘り、これも竪掘りとよく言われるのですが、自然地形の谷筋であることを否定できないものが殆どです。
今回の赤色図では明らかに自然の地形ではないものを3か所入れておきました。
これとて、上に平地・下に林道があれば、林業作業での木材降下用の筋ではと指摘されるのは想定の内です。
ここで赤色図の左下、詰め城の石塁の尾根の南端を見てみましょう。
明らかに人の手で掘った2本の筋が下ります。
林業作業の木材降下用だったら2本はいらないはずです。
微精細に見ると並行して下る様が読み取れ、しかも複数の筋があるということで、築城時の連続竪掘りだと判断できます。
同様に残りの2箇所もありますが場を変えて(別Web頁で)説明する予定です。
赤色図の左下、詰め城の石塁の尾根の南端の竪掘り。連続する2本の西側のもの。
赤色図の右下、太鼓曲輪尾根から分岐し、御霊谷に下る尾根に削られた竪掘り。
「赤色立体縄張り図」のこれからの展開
東京都が全国の中で先陣を切って多摩地区の赤色立体地図と陰陽図を作成し公開してくれたことは、多少なりとも八王子城にかかわる立場からすると大変ありがたいことです。
これを活用して北条氏照が関係した城のかなりの数の「赤色立体縄張り図」を作成することが可能となりました。
ここでは取り急ぎ八王子城について赤色図を掲載しましたが、今後、新たに別Web頁を立ち上げ、氏照公ゆかりの滝山城、浄福寺城・・・・・と東京都多摩地区の城域の「赤色立体縄張り図」を作成していく予定です。
東京都公開のものは微精細であるけれどたくさんのピースで構成されているということで扱いにくい面もあります。
そこで、フリー(無料)で使えるツールを使って赤色図を作る手順なども紹介できればと思っています。
今後、他の道府県からも公開されるであろう赤色図・陰陽図をもとに、全国の城郭の「赤色立体縄張り図」作成のムーブメントになればと考えています。
八王子城「赤色立体縄張り図」を作成
東京都が公開した赤色立体地図をもとに八王子城「赤色立体縄張り図」を作成しました(記事作成:2024/2/7)。
赤色立体地図(以下赤色図と略)は長い年月の中で樹木が繁茂したような場所でもそれらを透過して、地表の微細な凹凸を可視化する技術です。
防災の観点からハザードマップがすでに全国的に展開されていますが、赤色図はそれを補完するものとして位置づけられています。
この技術を城跡の構造解明に応用しようとする試みはすでに散発的に行われていて、NHKの歴史番組のなどでも使われています。
2023/9/1 に東京都が多摩地区の微精細の赤色図・陰陽図を公開しましたので、八王子城にもそれを応用して「赤色立体縄張り図」を作成しました。
2.82 MB、5090 x 3600 pixel
1.49 MB、2000 x 1414 pixel
八王子城にも連続竪堀がありました
!!
赤色立体縄張り図(以下、これも赤色図と略)を活用して城郭の構造解明に結びつける一例を紹介しておきます。
今回は竪掘りです。
八王子城ではあれも竪掘り、これも竪掘りとよく言われるのですが、自然地形の谷筋であることを否定できないものが殆どです。
今回の赤色図では明らかに自然の地形ではないものを3か所入れておきました。
これとて、上に平地・下に林道があれば、林業作業での木材降下用の筋ではと指摘されるのは想定の内です。
ここで赤色図の左下、詰め城の石塁の尾根の南端を見てみましょう。
明らかに人の手で掘った2本の筋が下ります。
林業作業の木材降下用だったら2本はいらないはずです。
微精細に見ると並行して下る様が読み取れ、しかも複数の筋があるということで、築城時の連続竪掘りだと判断できます。
同様に残りの2箇所もありますが場を変えて(別Web頁で)説明する予定です。
赤色図の左下、詰め城の石塁の尾根の南端の竪掘り。連続する2本の西側のもの。
赤色図の右下、太鼓曲輪尾根から分岐し、御霊谷に下る尾根に削られた竪掘り。
「赤色立体縄張り図」のこれからの展開
東京都が全国の中で先陣を切って多摩地区の赤色立体地図と陰陽図を作成し公開してくれたことは、多少なりとも八王子城にかかわる立場からすると大変ありがたいことです。
これを活用して北条氏照が関係した城のかなりの数の「赤色立体縄張り図」を作成することが可能となりました。
ここでは取り急ぎ八王子城について赤色図を掲載しましたが、今後、新たに別Web頁を立ち上げ、氏照公ゆかりの滝山城、浄福寺城・・・・・と東京都多摩地区の城域の「赤色立体縄張り図」を作成していく予定です。
東京都公開のものは微精細であるけれどたくさんのピースで構成されているということで扱いにくい面もあります。
そこで、フリー(無料)で使えるツールを使って赤色図を作る手順なども紹介できればと思っています。
今後、他の道府県からも公開されるであろう赤色図・陰陽図をもとに、全国の城郭の「赤色立体縄張り図」作成のムーブメントになればと考えています。
2024年の初日の出です
2024年の八王子城山の初日の出です(撮影:24/1/1.AM 6:51)。
ようやくコロナ禍を抜けた新年です。
近年にない暖かい新年で、城跡駐車場から登りはじめ、金子曲輪あたりから少しずつ回りが明るくなってきました。
新型コロナ前に比べると2/3くらいの人数という感じでした。
これだけ人がいる中で城跡ガイドメンバーなど、知っている人は一人もいませんでした。
9合目上の展望スポット。見えている範囲は戦国北条の支配下です。
御主殿では以外に日出が遅く(7:48)、しかも太鼓曲輪の第二堀切のやや左側から日がのぼりました。
2024年の初日の出です
2024年の八王子城山の初日の出です(撮影:24/1/1.AM 6:51)。
ようやくコロナ禍を抜けた新年です。
近年にない暖かい新年で、城跡駐車場から登りはじめ、金子曲輪あたりから少しずつ回りが明るくなってきました。
新型コロナ前に比べると2/3くらいの人数という感じでした。
これだけ人がいる中で城跡ガイドメンバーなど、知っている人は一人もいませんでした。
9合目上の展望スポット。見えている範囲は戦国北条の支配下です。
御主殿では以外に日出が遅く(7:48)、しかも太鼓曲輪の第二堀切のやや左側から日がのぼりました。
■
2023年のトピックス
■
2022年のトピックス
■
2021年のトピックス
■
2020年のトピックス
■
2019年のトピックス
■
2018年のトピックス
■
2017年のトピックス
■
2016年のトピックス
■
2015年のトピックス
■
2014年のトピックス
■
2013年のトピックス
■
2012年のトピックス
■
2023年のトピックス
■
2022年のトピックス
■
2021年のトピックス
■
2020年のトピックス
■
2019年のトピックス
■
2018年のトピックス
■
2017年のトピックス
■
2016年のトピックス
■
2015年のトピックス
■
2014年のトピックス
■
2013年のトピックス
■
2012年のトピックス